大人の顔色を窺うところは、幼い頃の自分のよう。 だが、本音も口にしてしまう不器用さは、幼い頃の氷河のよう。 食べ物に素直に釣られてくれるところは、幼い頃(に限らないが)の星矢のよう。 ナターシャの振舞いを見ているうちに、平尾丸の中には、“ナターシャのマーマは恐い大人ではない”という認識が出来上がってきたのか、あるいは、マーマへの甘え方が わかってきたのか、それとも やはりプリンの効果なのか、もともと順応性に恵まれていたのか。 気持ちの垣根のようなものが消えると、平尾丸は存外 人懐こい普通の(?)子供だった。 『平尾丸の件をアテナに相談すべきかどうかを紫龍に相談するので、帰りは朝になる』と、氷河から連絡があったのは、ナターシャの就寝時刻間際。 事の発端が 自分が軽率に口にしたクロノスの悪口だったので、氷河は直接アテナに事態収拾の助力を依頼しにくいらしい。 どうやら 思ったより長丁場になりそうだと、寝間着代わりに 自分のTシャツを平尾丸に着せながら、瞬は とりあえず 二人の子持ちになる覚悟を決めたのである。 氷河に、平尾丸の衣類を購入してきてほしいとメッセージを入れると、『男子の子供服など、選び甲斐がなくて つまらん』というメッセージが返ってきた。 『青のノースリーブシャツとオレンジ色のレッグウォーマー以外なら何でもいいよ』と応じると、『わかった』と白旗掲揚。 言動を予測できるので、氷河の扱いは瞬には容易だった――言動に予測がつかない分、氷河より子供たちの方が、瞬には扱いが難しかった。 「丸くん、今夜は僕と一緒に眠ろうか」 面妖な世界で一人で眠るのは不安だろうと、瞬が平尾丸に提案すると、暮らし慣れた世界で一人で眠ることに不安など覚えないはずのナターシャが、その提案に異議を唱えてきたのだ。 「マルちゃんだけ、ズルイヨ。ナターシャもマーマと おねむスルー」 「ナターシャちゃんは、ナターシャちゃんのベッドがあるでしょう」 「時々はイインダヨ。パパもいつも、パパのベッドと間違って マーマのベッドで おねむしてるカラ、ナターシャも間違って マーマのベッドでおねむスルノ」 「……」 いったい いつ、どういう経緯で、氷河はナターシャに そんな出まかせを吹き込んだのか。 ナターシャの意見には、確認したい点が多々あったのだが、藪を突いて蛇を出す愚を犯すことはしたくない。 「じゃあ、今夜だけだよ」 瞬は、ナターシャに折れるしかなかった。 ナターシャも平尾丸も瞬も“ふくよか”ではなかったので、三人で眠ってもセミダブルのベッドは さほど窮屈ではなかったのだが、子供は 体温が高い。 体温が高くなるほどに 周囲が涼しくなる氷河との共寝に慣れているせいもあって、それは瞬には結構な苦行だった。 その苦行を瞬に忘れさせたのは、平尾丸の、 「……温かいの」 という一言。 「誰かと眠るのは 初めてじゃ」 という、小さな呟きだった。 「丸くんは、お母さんと眠ったりしないの?」 「母君とは久しく会っておらん」 平安時代の貴族の子供は実母ではなく乳母に養育されるものだということは、瞬も知識としては知っていた。 が、平尾丸の言葉から察するに、平尾丸は乳母とも 親密ではないらしい。 平尾丸は、おそらく 5、6歳。 この年頃で、母親と久しく会っていないということは、21世紀の子供同様、平安時代の子供にも 寂しく心細いことだろう。 自身が そういう幼少期を過ごしてきただけに一層、平尾丸の寂しさは 瞬の胸に 強く迫ってきたのである。 平尾丸には、おそらく 固い絆で結ばれた仲間たちもいないのだ――。 「ここは京の都ではないのか」 「もっとずっと東の方だよ」 「そうか……。父君も母君も、我を疎んじて、東の国に放り出したのかもしれぬな」 「そんなことはないでしょう」 「我は兄君と違って出来が悪い。漢文より和歌の方が好きなのじゃ。父君は兄君にだけ期待している。母君は――父君にも兄君にも我にも期待しておらぬ」 平尾丸の母親は 育児を放棄してしまっているのか。 21世紀の常識と平安時代の常識を同列に語ることはできないだろうが、平尾丸が寂しさを感じているのは紛れもない事実。 1200年の時を隔てても、子供の心身は 同じように温もりを求めるものらしかった。 「歌が好きなの? 素敵だね」 「男子たるもの、歌などにうつつを抜かさず、漢籍を読めと父君は言う」 「僕は和歌の方が好きだよ。やわらかくて、歌を詠んだ人の心が 僕の心に直接 手渡されるみたいな感じがするから」 「まことか」 瞬の その言葉が よほど嬉しかったのか、平尾丸は、それまでベッドの端に逃げるように横たえていた身体を もそもそと瞬の側に移動させてきた。 「“マーマ”と“母君”は違うものなのだな……。瞬は ふくよかではないが、ナターシャの言っていた“綺麗”とは こういうことだったのか」 『こういうこと』とはどういうことなのか。 尋ねる気はなかったが、たとえ尋ねても、それは無駄骨になっていただろう。 平尾丸は いつのまにか、瞬の温もりに引かれ包まれて、健やかな眠りに落ちていたから。 |