どうやら、紫龍の“糸引き納豆ねちゃねちゃ計画”は、あっさりと失敗に終わってしまったようだった。

今回出番の少ない星矢が、その事実に気を腐らせた様子もなく、一件落着したダイニングテーブルに腰を落ち着ける。
納豆という強敵をまだ幼いうちに克服していた星矢には、今夜の納豆ディナーは立派なご馳走ではあったのだ。

早速納豆コロッケにフォークを突き刺しながら、彼は緊迫感のない表情で瞬に尋ねた。

「でもよー、氷河が今より元気になったりしたら、おまえ、死んじまうんじゃねーの?」

瞬が、星矢のその言葉に一瞬きょとんとする。

それから、彼はにこやかに微笑った。

「星矢ってば、ほんとに本気で誰かを好きになったことないんだね」
くすくすと笑う瞬には、しかし、星矢を馬鹿にした色はなかった。

それがわかっているから、星矢も形だけ口をとがらせてみせる。
「なんだよー悪いかよー」

瞬は氷河の隣りの席の椅子を引きながら、屈託のない笑顔でもって星矢に告げた。

「あのね、ほんとに本気で好きな人を抱きしめてる時や抱きしめられてる時にはね、このまま死んでもいいって思っちゃうことがあるの」

「げ」

星矢が言葉を詰まらせたのは、納豆コロッケのせいではなかっただろう。彼には瞬の言葉を真実のものと思うことができなかったのだ。

「そーゆーもんかぁ? 俺ならもっと食いたいって思うぜー」
どうやら星矢がほんとに本気で好きになったことがあるのは、今のところ、食べ物だけらしい。

「それも真実だよね。だから、納豆だったの」

「……?」

星矢は、瞬の言うことをすぐには理解できなかった。
納豆コロッケをごくりと飲み込んでから、少し考え込む。

それでもわからないでいるらしい星矢に、仕方なく、紫龍が助け舟を出した。

「死んでもいいと、この先何回も思いたかったから、氷河に(精力がつくという)納豆を食わせようとしたんだ、瞬は」

そんなことを口にするのも不本意だった紫龍は、( )内の説明文を意識して省いた。

それでも、星矢には、それは、それだけで充分な説明だった。

「あ、なーるほど」

納得できたことを素直に受け入れられる星矢は、実に立派なB型大らか主人公である。

そして、だが、その事実を素直に受け入れられないA型龍星座の聖闘士も、しかし、これまでの彼ではなかった。


勝機を見い出しかけていながら頓挫した“糸引き納豆ねちゃねちゃ計画”。

紫龍は、だが、この計画の失敗によって、重要な情報を得ることができたのである。


これまで、彼は、氷河と瞬の活発すぎる××活動にばかり目を奪われすぎていたのだ。
紫龍は、これまで、氷河という男をどうしようもない助平男だと誤解していた。否、もちろん、氷河は完全無欠の助平男ではあるのだが、しかし、彼はそれだけの男ではなかったのだ。

どうやら氷河は、思った以上に純粋に真剣に本気で瞬に惚れているらしい。


紫龍は、A型特有の冷静さと底意地の悪さを口許に刻み、にやりと笑った。
紫龍の学習能力と状況判断力は並以上である。
彼は、今回の“糸引き納豆ねちゃねちゃ計画”の失敗を踏まえて、更なる成長を遂げようとしていた。

今回の失敗は、単に、紫龍の手許に氷河という男のデータが不足していただけのことなのだ。

紫龍は、真の意味で強い男になりかけていた。
すなわち、どんな失敗にも挫けることなく、新たな挑戦を続ける男に、である。


7月には、まだまだ氷河をいじめる機会がある。

20日はハンバーガーの日。
22日は天ぷらの日。
28日は菜っ葉の日。

ピクルスいっぱいのハンバーガー。
オクラの天ぷら、ピーマンの天ぷら。
菜っ葉の胡麻和え、菜っ葉のお浸し。


ビタミンを動物性たんぱく質で摂る食生活に慣れている氷河が苦手としている幾多の野菜類が、紫龍の頭の中では、ぐーるぐると楽しそうに渦を巻いて踊っていた。


愛のためにどこまで氷河が耐えられるか。
紫龍は、非常に楽しみだった。そして、興味深かった。



龍星座の聖闘士、紫龍。
血液型、A型。
10月4日生まれの天秤座。
修行地、中国・五老峰。


彼は決して挫けない。
彼は大いなる強さの可能性を秘めた、真の男なのである。






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