気がつくと瞬はベッドに横になっていて、枕元には、あれほどこの部屋に入れたくないと思っていた本物の氷河がいた。
つい先程の険しい表情が嘘のように気遣わしげな目をしている。
どれほど激情にかられても――要するに、氷河は詰めが甘いのだ。
そういうところも好きだと、以前は明るい気持ちで思うことができていたのに、今は――。
そう思いかけて、瞬は はっと我にかえった。
今はそんな感傷に浸っている場合ではない。

瞬は、ベッドに横になったまま視線だけを動かして室内を見まわし、その明るさが昼のものなのか夜のものなのかを急いで確かめたのである。
室内の明るさが人工の照明によるものではなく、夕暮れに至る前の陽光によるものだということを認め、安堵の息を洩らす。
自分が夜の――もしかしたら睡眠状態にある時の――氷河だけを支配できるのであれば、今 氷河が“彼”になることはない。
覚醒している氷河の心身を操れるほど自分の力は強くない――と信じることで、瞬は自身の気持ちを落ち着かせた。

「氷河、最近の……夜の記憶はある?」
情動にかられて無体なことをしようとした相手に 自分から声をかけるのをためらっているらしい氷河に、瞬は呟くような声音で尋ねた。
「夜の記憶?」
「眠っている間の」
なぜ突然そんなことを尋ねられるのかが、氷河にはわからなかったのだろう。
彼は奇妙に顔を歪め、少しの間をおいてから、
「この頃は夢も見ない」
と、そっけない答えを返してきた。

「そう……。そうだよね……」
夜の記憶などあるはずがない。
“瞬”によって“瞬”の望む通りに動くようにされている氷河の意識は、彼の中のどこか深いところに押しやられているに違いないのだ。
では、“彼”の中に氷河の意思は全く存在しないことになる。
“彼”は完全に“瞬”に操られるだけの人形だったのだ。

そうまでして、自分は氷河が欲しかったのかと、瞬は己れの欲心を呪った。
どう言って謝ればいいのか、これは謝って済むことなのか、それすらも今の瞬にはわからなかった。
だが、このまま口をつぐんで 何もなかったことにしてしまうことはできない。
それだけが、今の瞬にわかる唯一のことだった。

「僕は――僕は、氷河が好きだった。――好きだった。氷河が僕だけのものになればいいと、ずっと思ってた」
「瞬……?」
「氷河の青い目が好きだった。恐がりで、泣き虫で、臆病で、人の目なんて真正面から見詰めることのできなかった僕が、氷河の瞳からだけは視線を逸らすことができなくて――子供の頃から、魔法にかけられたみたいに、僕は氷河が好きだったんだ」
「突然 何を言い出したんだ、おまえ」
心を打ち明けてくる者の瞳に涙があふれていることが、その告白を氷河に素直に喜ばせることをしなかったらしい。
喜色より困惑の方が強い表情を浮かべる氷河を見て、瞬は唇を引き結んだ。
それでいいのだ。
この告白の先に幸福な日々はありえない。

「でも、もうすべて終わり」
すべてが自分の心から出たことなら、そこに第三者の介在がなく 非を負っているのが自分一人だけなのであれば、真実を知っても氷河が傷付くことはないだろう。
被害者と呼べる人間は存在しないのだから、少なくとも氷河が罪悪感を覚える要素は この事態のどこにもない。
瞬は、氷河にすべてを知らせないわけにはいかなかった。





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