「救ってやらぬでもない」 「え?」 太陽神の言葉に、瞬は瞳を見開いた。 「この地上を、人間たちを、アテナを、アテナの聖闘士たちを」 何かの罠かと疑うより先に、瞬はその言葉に陶酔していた。 仲間たち――幼い頃から、共に、辛い運命を耐えてきた仲間たち。 苦しい闘いを闘い続け、その果てに得られるものは新たな敵ばかりだというのに、それでも闘いをやめず闘い続け、そして、今、絶大な力の前に、その命の灯を消されかけている仲間たち。 闘いを知らぬ者たちが当たり前のように享受している幸せが、生きてさえいれば、この仲間たちにも訪れることがあるかもしれない。 瞬は、彼等に死んでほしくなかった。 「本当に……?」 神の気紛れでもいい。 それが叶うなら――この傲慢で哀れな神に、自分は感謝さえするだろう。 瞬は、自分に残された僅かな力の全てを振り絞って、太陽神に尋ねた。 傲慢な神が、ゆっくりと瞬の側に歩み寄ってくる。 「昔、ギリシャには、贖罪の儀式を行なうタルゲリア祭という祭があった。都市の悪と狂気を追放させるために、選ばれた人間に罪や汚れをなすりつけ、最後に殺してしまうという、自分勝手な祭だ。その祭の中で、皆の罪を引き受けて死んでいく者をパルマコスと呼ぶ。つまり、供犠──サクリファイスだ。アンドロメダの聖闘士である君のお得意だろう」 「それは……どういう意味ですか」 地に伏していた瞬の身体を、太陽神が抱き起こす。 間近に見る太陽神の瞳は深い藍色で、彼は、やわらかな、しかし、皮肉を含んだ笑みを、その瞳に浮かべていた。 「私は、この汚れた人間の世界がおぞましくてならなかっただけだ。だから、滅ぼそうと決めた。だが――」 力のない小動物を愛でるように囁くその声は、しかし、少しも優しさを帯びていない。 彼は、無力な人間に希望を抱かせるゲームを楽しんでいるようだった。 「君がパルマコスになり、人々の罪と汚れを一身に引き受けて、神である私の怒りを鎮めてくれるなら、人間界を滅ぼすのをやめてやってもよい」 声音も視線も人間のそれとは、どこかが違う。 嫌悪を感じるのに、惑わされる。 神の声は、一つの色彩だけを帯びてはいなかった。 「ぼ……僕の命で、救えるのなら、僕は――」 神が、その手を通して、瞬に力を送り込んでくる。 彼は、ゲームの駒に死なれては困る――とでも考えたのかもしれなかった。 「命? そんなものに何の価値がある」 「え?」 命の他に何も持っていない自分を知っている瞬は、アベルの言葉の意味を解しかねた。 「君は、自分の命にどれほどの価値があると思っているんだ。君が持っている最も価値あるものは、罪や汚れを受け入れようとしない、その身体と心だろう。それを捧げてもらわねば」 アベルは――太陽神は――今は楽しそうに笑っている。 「その身を汚されて、自分だけが何故こんな目に合うのかと、犠牲になることを選んだ自分を憎み、後悔し、救いにやってこない仲間たちを恨み、アテナをののしり、世界を呪う君の姿を見たら、私の気鬱も晴れるかもしれない」 瞬には、神の言葉の意味が理解できなかった。 自分が自分の選んだことで仲間たちを恨むようになる。 そんなことはありえないし、もし、そんなことになったとして、人間の醜さを厭うていたはずの神が、なぜ人の醜さを見て喜べるのだろう。 そもそも、自分は汚れを知らぬ清廉潔白な人間ではない。 多くの血で、その手を濡らしてきた、アベルの言う汚れた人間の中でも最も罪深い存在なのだ――。 瞬の考えていることは、アベルにすぐに伝わったらしい。 彼は、戸惑いの表情を浮かべている瞬を見詰め、喉の奥で小さい笑い声を漏らしてみせた。 「わからない子だな。その身体を私に蹂躙されることで、心まで汚してみせろと言っているのだ」 「あ……」 やっと、アベルの言っていることを――その真意ではなく、彼が為そうとしる具体的行為を――理解して、瞬は一瞬呆け、それから、彼を睨みつけた。 |