「瞬は、奴のところに囚われているのか」
「アベルの許にいることを、瞬が自ら望んだのだそうです」
「……なに?」

「──と、彼の使いの者は言っていました」

「馬鹿馬鹿しい。そんなすぐにバレる虚言を弄して、正気なのか、あの神サマは!」

あまりに直情径行な氷河の物言いに、沙織は微かに眉根を寄せた。
瞬を奪われて憤る氷河の気持ちはわかるのだが、『それは、ありえないことではない』というのが沙織の見解だったのである。

瞬はおそらく、仲間の命と世界とを盾に取られた──のだろう。
瞬の命が失われていないのであれば、それ以外の可能性は考え難かった。

「ともかく、アベルの許に行ってみましょう。彼が急に地上を支配する野望を断念した訳すらも、私たちは知らないのですから」
「いつ」

「こちらの都合のよい時に、結界を解くそうです。一輝は──」
「あのボーフラは、いつ戻ってくるかわからない!」

一輝は一輝で、消えてしまった弟を諦めきれず、瞬を捜しているのであろうことはわかっていたが、氷河は瞬の兄を待って、瞬に会える時を先延ばしにしたくはなかった。


アテナが囚われていた時とは比べものにならないほど、堅牢になった結界に、氷河はずっとてこずっていた。
アテナが結界の外にいるのであるから、結界を強固にするのは当然のことだと思うのだが、アベルが世界を滅ぼす野心を捨てたのであれば、アテナの敵ではなくなった者が聖域に対して結界を張る必要などないではないか。


隠しておきたいものが、あの禁域にはあるのだ。
それは、聖域に対する陰謀なのか、太陽神の野心なのか、あるいは他の何かなのかもしれない。
いずれにしても、瞬は、その隠されている何かに関わってしまったに違いなかった。
そのせいで、瞬は太陽神殿に囚われている。

この一ヶ月間、瞬の死を考えたくない氷河は、そう信じて、太陽神殿のそびえる禁域を睨み続けてきた。

保たれている平和を壊すべきではないということがわからないわけではない。
だからこそ、氷河は、アベルの結界を破るために、全力を投じることができずにいた。
氷河の中には、ためらいがあったのだ。

しかし、優雅にためらっていられるのにも限界というものがある。
氷河は、世界の平和を願う聖人君子でもなければ、全人類の存続を願う神でもなかった。








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