数日後、瞬は氷河を伴って、王位継承者候補の選定に挑む旨を国王に奏上するために、王宮へと足を運んだ。

近隣諸国を武力で捻じ伏せ国土を拡げてきたオリュンポス国の王宮は、壮麗にして広大である。
床には部屋ごとに色合いの違う大理石が敷かれ、装飾過多の各部屋には、黒檀や鼈甲、黄銅、象牙などの象嵌が施され、中には、金銀のメッキで飾られた物もある。
その壮麗さに驚いて声も出せず、目をみはるばかりの瞬が、果たしてこの王宮の主になれるのか――なるべきではないのではないか――という懸念を、氷河は、その場に臨んでも拭い去れずにいた。

瞬は、王宮のその無意味なまでの豪奢さに、むしろ怯え始めているようだった。


「ほう、噂に違わず、可愛らしい。陛下が目を留めただけのことはある。これは楽しみだ」

謁見の間の前にある控え室で、氷河と瞬が侍従の呼び出しを待っていると、先に国王との謁見を済ませたらしい一人の青年が、絹張りの椅子に肩を丸めるようにして座っていた瞬の前にやってきた。
地味な黒衣に見えるが、彼の身に着けている高価な絹の宮廷服には幾粒もの宝石が縫い込まれている。

それが、瞬のライバルだった。

突然名乗りもせずに声をかけてきた青年を、瞬が、冥界からの使者でも見るような瞳で見上げる。
二人の王位継承者候補の偶然の邂逅の場は、氷河の目には、春の野に咲いている小さな花に、夜の闇が襲いかかろうとしているように見えた。

「ふふふ。重臣列席のもとに公平に決めると言っても、決定権は国王陛下にある。閨での技術も覚えておいた方がいい。お気に召したら、本当に私をさしおいて次期国王になれるかもしれないよ、可愛い坊や」

瞬は、まだ、自分に襲いかかろうとしている暗闇が誰なのかに気付いていないらしい。

「まあ、そうなったら、私も相伴に預かるだけだが」

氷河は、瞬が闇に喰われてしまうのを避けるために、急いで二人の間に割って入った。
「瞬様は貴公の名も顔も存じあげていない。名も名乗らずに、一方的にまくしたてるのは無礼というものだろう」

氷河の言葉に、瞬のライバルが僅かに目を眇める。
が、国王に次ぐ身分の侯爵に礼を尽くそうともしない彼は、瞬の従者にすぎない氷河の無礼にも、頓着しなかった。

「小さな公爵様のお連れもなかなか美しいな。機会があったら、ぜひ、お相手を賜りたいものだ」
「俺にはそちらの趣味はない」
「おや、それは残念」

ハーデスは、疑るような一瞥を氷河に投げると、妙に勘に触る笑い声をあげて、控えの間を出ていった。
途端に、それまで黒衣の青年の言動に怯え通しだったらしい瞬が、声も出せない様子で、氷河にしがみついてくる。

「瞬様……」

退廃を極めているこの王宮に、瞬が息のできるような場所は存在するのだろうか。
氷河は、今ならまだ間に合う――引き返すことができる――と、瞬に告げようとした。

が、既に、時は遅すぎたらしい。


「お待たせいたしました。では、お二方、陛下の御前にどうぞ」

謁見の間の扉が、王の侍従の手によって開けられた。






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