翌週、約束の日がきても、瞬は氷河の家には出向かなかった。
氷河の家のある方向には、金輪際足を向けるまいと、瞬は決意していた。

――のだが。

氷河はまだ小学生なのである。
もしかしたら彼は、“機嫌を損ねて”帰ってしまった家庭教師のことなどすっかり忘れてしまっているかもしれないが、彼が冷淡な家庭教師の言動に傷付き泣き続けている可能性がないとも言いきれない。
瞬は、結局、約束の日の翌日、氷河の家の門の前に立っていた。

だが、どうしても中に入る勇気が湧いてこない。
門前で10分以上迷い続けたあげく、瞬は、ここで勇気を奮い起こせないことはむしろ良いことなのだと自分に言い聞かせ、踵を返した。
返そうとした。

その瞬間に、スチール製の門が開き、何かが瞬にぶつかってくる。
主人の帰りを待ちわびていた大型犬のように瞬に飛びついてきたのは、無邪気な暴力を振るって瞬を傷付けた、あの小学生だった。

「瞬! どうして昨日来てくれなかったんだよ !? 俺、もう来てくれないのかと思って、どうしたらいいのかわかんなくて──!」

瞬は、この時初めて、氷河の肩が、自分より5センチは低いところにあることに気付いた。
彼はまだ子供なのだ。
その子供が、瞬にしがみついて泣きべそをかいている――。

瞬には、彼を突き放してしまうことができなかった。
「……泣かないでよ」
「な……泣いてなんかないやい! 瞬が来てくれたのに!」
「…………」

一目で強がっていることがわかる氷河の顔。
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、意地を張るように唇を引き結んでいる氷河に、瞬は、力無い笑みを投げかけた。

氷河に悪意や害意がないのは、氷河のせいではない。
氷河が率直で無邪気なのは、氷河の罪ではないのだ。

瞬の感情が少し和らいだのを敏感に感じとったらしく、氷河は、このチャンスを逃してなるかと言わんばかりの勢いで瞬の腕を掴み、彼を邸内に引き入れた。
そして、玄関に入るなり、瞬にロシア風の挨拶をしようとする。
瞬は、彼の唇から逃れるために顔を横に背け、背けたままで言った。

「今度、そんなことしたら、もう来ない」
「…………」

氷河は少し――否、かなり――不満そうだったが、今ここでどういう態度をとることが最も利口なやり方なのかを、直感で悟ったらしい。

「瞬が嫌なら、もうしない」
彼は、唇を噛むようにして、きっぱりと瞬に確約してみせた。

「約束してくれる?」
「うん。だから……」
「今度からは、ちゃんと勉強だけする?」
「うん」
「ほんとだよ?」
「うん」

何度も念を押されているうちに、氷河は、自分が瞬に信用されていないのだとことを感じとったのだろう。
再び泣きべそ顔になりながら、それでも氷河は、瞬に念を押された数だけ、瞬に頷き返してきた。






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