「初めまして。父が何かご無理を言ったのでなければいいんですけど」
非常識極まりない父を反面教師にして育った息子の僕は、高校1年生にして、自分の持ち分に加えて、父が放棄してしまった分の常識も備えている。
いたって常識的かつ礼儀正しく、僕はその客人を我が家の客間に迎えた。

もっとも、類は友を呼ぶのか、当の客人は、父さん同様、あまり常識的な客ではなかったが。
努めて愛想良く客を迎え入れた僕に、彼は、形ばかりの挨拶も返してよこさなかった。
代わりに、彼は、無遠慮にも思える不躾な視線を僕に向けてきた。
ううん、視線というより、凝視。

彼は、無言で、随分長いこと、僕をじっと見詰めていた。
その青い瞳で。

まじまじと見たことはないけど、外人さんの青い瞳というのは、普通はもっとビー玉みたいに作り物めいているものなんじゃないだろうか。
でも、彼の瞳は、ともすると黒く見えるほどに深い青色をしていた。
おまけにスーツが黒だったんで、それでなくても豪華な金髪が、本当に輝いて見える。

「僕の顔に何か?」
とりあえず、尋ねてみる。

「あ、いや、とても可愛らしいので――瞬くん、ですか。よろしく」
「…………」

16にもなった高校生に――しかも、男子に――『可愛らしい』は褒め言葉じゃない。
言われ慣れているだけに、僕は不愉快になった。
すぐに僕の不機嫌に気付いたらしく、彼はすぐにフォローを入れてきたけど。
「凛とした品もある」

キャラメルのおまけみたいにそんなこと言ったって、手遅れだ。
僕は拗ねてみせようとして――でも、彼の青い瞳に出会い、気後れして、そうすることができなくなった。
なんて瞳だろうと、改めて思う。
深い――深い青。

言葉を失った僕の代わりに父さんが、別の話題を持ち出してくれた。
「まあ、私の家は大戦後の成りあがりだが、これの母親は、先祖を辿れば江戸時代以前の武家の出でしたから」
「どちらの」
「有馬家ですよ、九州の。もっとも、妻の実家は山梨だったが、有馬家の表向きの最後の当主は甲斐で果てていますから」

自分の半分くらいの年齢の青年に、父さんの言葉使いはひどく丁寧だった。
彼は、確かに、貫禄――というか、無言の迫力――のある人ではあった。
若いんだか歳を重ねてるんだかわかりにくい。

父さんの言うことが事実なのかどうか、僕は知らない。
有馬家の最後の領主・有馬晴信はキリシタン大名として有名らしく、1612年に、所領に関わる贈収賄事件に巻き込まれて――いわゆる岡本大八事件というやつだ――、甲斐に配流になり、そこで自刃したらしい。

有馬家は、表向きは断絶した形になっているので、その子孫を名乗ったところで、どこかからクレームが来るわけじゃないから、それはそれでいいんだけど。

「クリスチャンですか?」
「残念ながら、我が家は代々真言宗です」
氷河に尋ねられて、父さんは、心底残念そうに答えた。
有馬家とは無関係な父さんが残念がる必要はないし、その答えは嘘だったけど。
父さんは真言宗徒じゃなくて無神論者、そのご本尊は虫に食われた古文書だから。

「隠れキリシタンの家では、後世になると、マリア像とは知らず仏像を拝んでいた者も相当数いましたから、一概に仏教徒と言いきることはできないかもしれませんよ」
「ははは。妻に会えると期待して極楽に行ってみたところが、妻がいるのは天国だったりするわけですか」
笑いながらそう言った父さんの声音はどこか寂しげだった。
だから、僕は、この子供みたいな父を見放してしまえないんだ。

「隠れキリシタンは近世日本において生じたカトリックのグノーシス現象のようなものです。同じキリスト教から派生した異端、というより異教に近いものが──」
やがて、オタク二人の会話は、僕にはついていけない次元へと雪崩れ込んでいった。

僕は、父さんは好きだけど、父さんの趣味にはあまり関心がない。
門前の小僧というやつで、同級生たちに比べれば多少はその手のことに詳しいくらい――のものだ。

「当時のキリシタンへの拷問は、火あぶり、穴吊り、竹鋸引き、熱湯掛けなど、殺さないように時間をかけて苦しめるものが多かったようですね。拷問の果てに棄教して障害者として生き延びるより、殉教してしまった方が楽だと考えた者もいたかもしれません」
「新井白石の『西洋紀聞』では、殉教者の数は2、30万人と書かれていましたが」
「実際には数万といったところでしょうが、肉体的にも精神的にも傷を負った棄教者たちが、それ以後幸福になれたとは考えにくい。殉教していった者たちへの負い目もあったでしょうし、生き延びた者たちは、死ねなかった自分を悔やんだことでしょう。実際、死んでしまった方が楽だったでしょうね」

聞きたくないけど、聞こえてしまった。

綺麗な顔をして、随分と非情なことを言う。
死んだ方が楽だなんて。
そんな話を真面目な顔をして論じないでほしい。
何にでも興味を持つ父さんが、その手の書画だの拷問具だのを集め始めかねない。
そうなったら、庭に倉庫がもう一棟建って、庭の景観が最悪になる。

「失礼。あまり愉快な話ではなかった」
僕の表情が曇ったのを、拷問話のせいだと思ったらしい。
客人は、そこでキリシタンへの拷問の話を打ち切った。





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