「あの子供が本当にあなたの器にふさわしい人間かどうか、試してみようではありませんか」
冥府の王に選ばれた子供を睨むように凝視していた太陽神が、ふと思いついたと言うように軽い口調で、伯父に提案する。
冥府の王は、彼に一瞥をくれた。
太陽神がその顔に浮かべているものは確かに冷笑なのに、彼の笑みには冷たい印象がない。
彼の表情は、それがどんなものであれ、深い血のような情念でできていて、それゆえ いつも 対峙するものに“熱い”印象を与えるのだった。

「試す……とは、あの者の清浄をか? そなたは、あの者を汚そうというのか? 余のために生まれてきた者を?」
我儘な甥の悪い癖が また始まったと、ハーデスは僅かに眉をひそめたのである。
アポロンは、問われたことには答えずに、皮肉な笑みを口許に刻んだ。
「あなたは昔から、ああいう可愛らしいのがお好きでしたね」
「そして、そなたは、それをいじめるのが好きだった。そなたは、誰も彼もが――神も人もすべてが、自分に注目していないと気が済まないのだな」
その実、彼は、自分を崇拝する者たちを虫けら程度にしか思っていない。
彼がハーデスに一目置いているのは、ひとえに冥府の王が太陽神を愛していないからだったろう。
傲慢になれるのは愛されている者だけだという事実を、太陽神は承知していた。

伯父の言外の非難に、アポロンは気付かぬ振りをした。
「私は、盲目的に人間たちを溺愛するアテナとは違います。人に試練を与えるのも、神たる私の役目。それこそが、神の正しい在り方と言ってもいい」
「よく言う」
太陽神には人間たちへの愛情も同情心もないことを、ハーデスは知っていた。
彼がもし人間に与えるものがあったとしたら、それは試練などではなく 滅びそのもののはずである。
彼が人間に“試練”を与えることがあったとしたら、それは彼にとってはただの遊びでしかないのだ。

伯父の皮肉な声音に、太陽神は心外と言わんばかりの表情を作り、反論してきた。
「伯父上は誤解しておいでのようですが、私にも慈悲の心というものはあるのですよ。あなたは、あの者を使って人間界を粛清しようとしているのだから、あの者を汚すことは、人の世の存続の可能性を増すことになる。もし私が首尾良く あの者を汚すことができたなら、それは冥府の王の活動の時を遅らせることになるわけです。つまり、私は人の世界を守るために力を尽くした慈悲深い神ということになる。――お嫌かな?」

『嫌』と言っても、彼は勝手に彼のゲームを始めることだろう。
そして、目的を果たしたあとで哄笑を響かせ、人と人を選んだ神をあざけってみせるのだ。
アポロンの魂胆は、ハーデスはわかりすぎるほどにわかっていた。
が、冥府の王の拠り代の魂の清らかさを守るために、ハーデスはアポロンの悪質な酔狂に付き合ってやらなければならなかった。

「よかろう。ただし、あの者の心や身体を神の力で操ることだけはせぬよう。ゲームを楽しむにはルールが必要だ」
「あの者以外の心身ならよろしいか」
「余は構わぬ」
禁忌をつけすぎると、アポロンはそれを、冥界の王が選んだ者を軽んじる材料にしかねない。
ハーデスは、自分の思いつきが楽しくてならないらしい太陽神の様子に微かに眉をひそめつつ、頷いた。

「あの者が汚れれば、あなたはあなたの器を失うことになりますが」
「そうなったら、あれは、それだけのものだったということ。余は別の汚れない魂が生まれる時を待つだけだ」
もしそういう事態になったとしたら、次に冥府の王の心に適う魂が人の世に生まれ出るのは、いったいいつになることか――それは、近い未来のことではないだろう。
神の命は尽きることはないといっても、“待つ”ことに変わりはない。

伯父の言葉に、太陽神はにっこりと笑った。
含みのある粘着質な笑み――。
ハーデスはそれが嫌いでならなかった。
「よろしい。ではゲーム開始と参りましょう」
今はまだ“白”い魂――他の者たちとの区別もつかないほど白い魂――を持つ小さな子供を眺めて、アポロンは憎々しげに目を細めた。






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