厄介で面倒な相手だということはわかっていた。
シュンと懇意になることは、何の権利も持っていないレッジョの王子が、ミラノ公国第3位の公位継承権を持つ者と繋がりを持つことで、それはもしかしたら第2位の公位継承権を持つシュンの兄に近付くことでもあるかもしれない。
政治的野心を抱く者には、それは この上なく有益で危険な冒険だったろう。

だが、ヒョウガは野心と呼べるようなものを、今のシュンの年頃には完全に捨て去っていた。
ヒョウガは、現在のレッジョ公の二度目の妻の息子だった。
ヒョウガが6歳の時に亡くなった彼の母は、レッジョ公と教会での式は挙げたが、成婚確認の儀式に臨むことはしなかった。
貴賎婚と言えるほどにヒョウガの母の身分は軽いものだったので、ヒョウガの母が父に『家臣たちの見世物になるのは嫌だ』と駄々をこねたとは考えられず、となると、それはヒョウガの父の意思だったことになる。

結果としてヒョウガは、レッジョ公国の王子としては認められるが、レッジョ公の実子とは認められない――という微妙な立場に立たされることになった。
当然、レッジョ公国の公位継承権も与えられていない。

「あのくだらない見世物が重要な儀式だということはわかっているんだ。あの儀式を実行しなかったおかげで、俺はレッジョ公国の支配者になり損ねたようなものなんだから」
翌日、シュンの館――正確にはシュンの兄の館――を訪ねたヒョウガは、いつのまにかシュンに自分の身の上を語り始めていた。
そんなつもりはなかったのに、むしろ、シュンのことを根掘り葉掘り探ってやろうと考えて、そこを訪ねたはずなのに、いつのまにか、どういうわけか。

「レッジョ公になりたかった?」
シュンは、聞き上手というより、語らせ上手だった。
なぜ自分は初対面も同様の少年にこんなことを話しているのかと自身を疑いつつ、だが、ヒョウガは語ることをやめられなかった。
なぜ やめることができないのか――は、ヒョウガにはわかっていた。
彼は、この稀有な少年に、自分を理解してもらいたいと願っていたのだ。
自分が なぜそんな願いを願ってしまうのかも――わかりたくはなかったが、ヒョウガには薄々わかってしまっていた。

「いや、今の方が気楽だからな。責任を負わされることもなく、生活にも困らない。不愉快なおべっか使いも寄ってこないのは いいことだろう」
「……」
ヒョウガの返答に、シュンが困ったような微笑を浮かべる。
公位に就くことができたら、自分は誰よりもうまくやれる――と、ヒョウガが心底では思っていることが、シュンにはわかってしまったらしい。
彼は短く吐息した。
「うまくいかないものですね。我が国の王子は、本当はミラノ公なんかにはなりたくなくて、できれば芸術品に囲まれて静かに暮らしたいんだそうです。身体も弱いし……。でも、父君の期待があるので、公位継承を辞退したいと言い出すこともできずにいるの」

ミラノの跡継ぎが頑健な身体の持ち主でないことは、昨日直接会った時にヒョウガにも見てとれていた。
彼がミラノ公国の跡継ぎを儲けることができない――という事態は大いにありえることで、だからこそ彼の父であるミラノ公は王女の成婚にこだわっているのだということも、ヒョウガにはわかっていた。
しかし、兄に比べれば健康そうな妹姫とて、必ずしも男子を儲けることができるとは限らないし、儲けることができたとしても、それは他国の王子である。
様々なことを考えれば、今最も次代のミラノ公位に近い場所にいるのは、やはり この館に住む兄弟ということになりそうだった。

「おまえはどう考えているんだ」
公位継承権を持たないレッジョの王子には あまり愉快でないことまでを語らせてしまったことに責任を感じたわけでもないのだろうが、シュンは本心を――聞く者が聞けば眉をひそめることにもなりかねない彼の望みを――話してくれた。
「本音を言えば、次期ミラノ公には、僕の兄が最もふさわしいと思っています。王子もそうなることを希望している。そうして僕は、ミラノのために兄を助けられたらと思っているんですが、こればかりはどうなるか――」

シュンにはミラノ公位への直接の野心はないらしい。
が、国を思う気持ちはある。
シュンは、ミラノ公の甥などではなく、いっそただの臣下の家に生まれたかったのかもしれなかった。
『公位継承権なんて面倒なものを僕が持っていなかったらよかったのにと思ってらっしゃる』
あの言葉は、ヒョウガの考えを見透かしたものであると同時に、シュン自身の願いだったのかもしれない。
確かに世の中はうまくいかないものだと、ヒョウガは“お顔”に出して考えたのだった。






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