銀座の三原通りとマロニエ通りとが交わる一角に、小さな画廊がある。 そこをめざして、日陰を伝いながら歩いてくる男がいた。小さな背をいっそう小さくまるめて、しきりに頭をふりながらぶつぶつと何事かをつぶやいている。東西百貨店美術部長、それが男の肩書きである。しかし、あと数日でその身分も過去のものとなろうとしていた。 このあたりの建築物はどこも老朽化が著しく、表の繁華街とは打って変わって、一本路地を裏にまわっただけで真昼でもどこかものさびしい光景が広がっていた。そんな中に紛れこんだビルの四階に、窓もなく、看板も申しわけ程度に「○○画廊」としか出ていない美術事務所があった。 これでも一時期は、銀座にあるというだけで、とぎれることなく個展が開かれ、よくもまあ詰め込んだと思われるほどの絵が、そこの狭い壁にかけられていたものだった。空調設備も想像どおり粗末なもので、三日もおけば煙草のヤニとカビの匂いがうつってしまうようなこの画廊で、俺は何年商談をまとめてきたことか・・・。 そんな思いを口のなかで転がしながら、小男、安藤は時代物のエレベータに乗り込んだ。「閉」のボタンは塗料が剥げ落ち、手垢でつるつるに磨かれて奥にへこんだままになっている。カーペットは幾重にも泥が固まって、靴で踏むのもためらうくらい汚く、もともとはどんな色だったか想像もつかなくなっている。 永らくお付き合いいただき、ありがとうございました。このたびわたくしどもの・・・ わたくしどもの百貨店ではこのたび美術・企画部門が再編成される運びとなりました、か。 何度も復唱してきた言葉だったが、安藤はこのくたびれかけた画廊を相手に、自分がうまく話を切り出せるとはとうてい思えなかった。 エレベータがきしみながら昇る間、息苦しさを覚えながら、安藤は自分の陥っている苦しい状況をあらためて思い返していた。 景気がよかったころには、百貨店の美術部と仕入先の中小の画廊とは、持ちつ持たれつの関係だった。画廊は絵を百貨店に貸し出し、百貨店は上得意にその絵を安く頒布したり、名ばかりの付属の美術館に展示したりということをしていたのだ。多少絵のだぶつきがあっても、それほど問題視されることもなかった。そのころはメセナという呪文が、オブラートのようにやわらかく、美術部と株主達との緩衝材の働きをしていたのだ。 しかし、大手の美術館が―――鉄道系列のデパートが運営していたが―――とうとう倒産ということになると、百貨店の美術部門はどこも一斉に縮小されるようになった。今となっては好景気の残滓でしかなくなった美術部の帳簿にメスが入ると、さっそく株主会議から声があがる。一年に数百万円もの大金で、画廊から絵を借りているとは何事だ、というのだ。 どちらも悪いのだ。努力をしなかった我々と、美術商と。 画廊にとっては、売れ残りの絵を百貨店に押し付ければ小金が手に入る。我々は、ただなじみの画廊に任せておけば、知識もない営業部あがりの販売員でも、じゅうぶん美術部が務まってしまう。 しかしそれでも、精一杯勤め上げてきたつもりの安藤には、昨日人事部に辞職を勧告されるまで、事の大変さが飲み込めていなかった。 絵を引き取れ、おたくとはもう関係を清算する。そんな勝手を、長年付き合ってきた仕入先につきつけて、自分は経営悪化の責任を取る形でやめなくてはならないということを。 昇るにつれて、よけい息苦しさは増していく。 エレベータの扉が開いて、そこから3歩もいかぬ先が画廊の入り口だった。暦の上ではもう秋だが,人をいたぶるような日差しはいまだに衰えていない。早く冷房の効いた室内に入らなければ、鼻の下に汗がたまっていくだけだ。 それでも、ここに来て安藤はまだためらっていた。 しかし、骨董まがいのドアの向こうから、若い男の話し声がして、安藤はおやっと思った。 安藤の面識のない客など何年もここには来ていない。受付兼雑用係の亜佐美は、いつもは裏でテレビを見ながら茶を飲んでいるはずである。オーナーの木村という男は最近ちっとも姿を見せないが、噂では金融業者に厄介になって、取り立てが厳しくて逃げ回っているという。どうやらそれも本当のことらしい。亜佐美だけでは大事な話はできないと、安堵でほっと安藤はためいきをもらした。 人がいることがわかって、好奇心のほうが緊張をやや上回った安藤は中へ入り、受付を通りすぎて、見当をつけてそのまま展示室のほうへ向かった。 勝手知ったるなんとやら、案の定ふたりはそこにいた。 若い男は奥の壁のほうを見つめ、亜佐美となにやら話し込んでいる。その後ろ姿を廊下からのぞきこんで安藤は、これはまずいところに来てしまったかもしれん、とあわてた。 なにしろ男は、身長162cmの安藤より優にふたまわり以上もでかい上に、頭は金髪である。背中をこちらに向けているから表情まではわからないが、借金の取り立てなどだったら、いったいどうすればいいのだろうか。 俺は無関係だと言って通用する相手でもあるまいし、とそっと抜けだそうとしていた彼に、 「あ、部長さん。おひさしぶりです。」 と、やけに明るい声で亜佐美が挨拶してきた。 ということは、すくなくとも暴力沙汰でないのは間違いない。借金取りではないことに少し安心し、あらためて彼女の様子を観察すると、いつもとはまるで違う愛想のよさに気が付いた。 彼女はこれまで安藤には見せたことのないパチパチと瞬きしている目で、若い男に作品の説明をしていたのだ。 「あの、申し遅れました。こちら東西百貨店の美術部長さん。こちらは城戸氷河様。和光のショーウィンドウに提供した作品のことでいらっしゃって。」 その若い男、城戸氷河は、はじめて振り返って安藤のほうをじっと見返した。 この瞬間、安藤は胃の腑がちりちりとこげるような熱さが腹のそこからこみ上げてきて、男の顔をまともに見ることができなかった。 この煤けた画廊には、まったくそぐわない若者だった。 この男の身に付けている仕立てのいいスーツはどうだろう。頭の先からつま先まで、金がたっぷりとかかっているのに、浮ついたところは塵ほどもない。だが、服だけではもちろんない。上背はすっと伸び、身体は硬く引き締まっていて、日本人のように横に薄っぺらいものではない。 上目遣いにちらっとうかがってもはっきりとわかる蜜のような髪色と、落ち窪んだ眼窩、薄い唇。これで見えているのかと不思議になるような、深い目の青。 氷河の一挙一動に部屋の空気も変わる、彼はそんな青年だった。 卑屈になるのを感じつつ、それでもなんとか挨拶をかわす。 「はじめまして、わたくし安藤と申します。」 以後お引き立てを、と名刺を内ポケットから出そうと手を差し入れてから、ふと気づいて止めた。あと数日もすれば職場を去るのだ。ここで営業をしてどうするんだ、と言葉を飲み込んだ。 男も軽くうなずいて挨拶を返しただけだった。 ふたりが左右にわかれて立ち、影になっていた奥の壁に特徴のある額が見えた。 「覚えてらっしゃるでしょ、この『人』を。」 むろん、安藤はよく覚えていた。 いまここにあるたったひとつの額。ガラスでできた薄いケースの縁が、これもガラスの見事な細工で飾られている。アガパンサスの花をかたどった繊細な造りだ。中身のほうは、画廊で扱うには、少々毛並みの違う作品。 「ああ、もちろん忘れるわけがないよ。」 亜佐美に応えて、この見慣れない客に、長年の接客で身についたさりげなさで説明した。 「レルヒ&ホルツの『人』。まだ作者は知られておりませんが、オップ・アート(視覚的要素を重視した現代アートの一派)の傑作です。これがはたして「アート」なのかとおっしゃる方もおられますが、むりもありません。なにしろヴィデオの画像ですからね。」 たしかに、ガラスのなかに展開されているのは絵ではなく、切れ切れの映像だった。 頭の固い百貨店の仲間とその顧客にはけしてわかってはもらえない作品。コラージュやテキスタイルですら美術品だとは認めない輩にとっては、ヴィデオを再生してアートでござい、といったところでちんぷんかんぷんなのだ。もっとも絵画や彫刻を投資の対象としてしか考えてこなかったような連中にとっては、存命している美術家の作など、小豆相場並みに危険で手が出せないというのが本音なのだろうが。 『人』は、安藤がはじめて手をだした現代アートの作品だった。 得意先に、何か珍しくて綺麗なものをみつくろってくれ、といわれて奔走したとき、海外の無名の作品が折り良く競売にかけられていた。それがこの作品だ。一目で惚れ込んで競り落とし、意気揚揚とひきあげてきた。 画廊からの受け売りで、ただ美術品をさばくのではなく、自分の手で探し出した一品を売るという快感。このとき安藤は自分の鑑定眼に自信がつき、百貨店をやめて独り立ちをすることを真剣に考えたほどだった。 しかし『人』はつき返されてきた。 これは絵ではないじゃないか、とろくに見もしないで得意先はその場で送り返したのだそうだ。それからは必死に、この作品の引き取り先を探し回り、結局以前から付き合いのあった○○画廊に落ち着くことになったのだ。 安藤はそれからというもの、日本と近代以前の洋画家しか扱わなくなった。 それでも一度は自分の見立てた作品である。 『人』は○○画廊からあちこちに貸し出され、ちかごろでは和光のショーウィンドウを飾っているという話を聞いて、安藤はひそかに誇らしく思っていた。俺の目に狂いはない、天下の和光がしばらくこの作品を借り切っていたぐらいだ、と。 |