「氷河と喧嘩したか。」

顔にかかる長い髪の毛をさして気にもとめず紫龍は氷河お気に入りのソファに腰を下ろした。
いや、氷河が主に機嫌がよく無い時に深く腰を下ろすソファだから「お気に入り」というのとは少し違うかもしれない。
窓枠に両肘を突いたあまりお行儀のよくない格好ですっかり暗くなった窓の外をやや不機嫌気味な表情を残したまま眺めていた瞬がひゃっ、と小さな悲鳴を上げて振返る。
「や、やだな紫龍。おどかさないでよ。」
「氷河と喧嘩」に動揺したのか紫龍が突然声をかけてきた事に動揺したのか兎に角妙にあたふたしている瞬をそれ程気にした風も無く紫龍は持っていたエアメールの封を開けた。

「………」
「………」
「………」
「………」

「しゅ、春麗さんから??」
何も言わない紫龍に思わず瞬がどうでもいい事を聞く。
「ん?ああ。」

「………」
「………」
「………」
「………」

「ラ…ラブラブだね、あはは…」
瞬の言葉に紫龍は少し微笑んで見せる。

「………」
「………」
「………」
「………」

三度の沈黙。
ついに意味の無い沈黙に耐えられなくなった瞬が自ら話を紫龍にふった。
「…なんで知ってるの。」
瞬から話を振らせる為に意味の在る沈黙を守っていた紫龍は今回初めて瞬の顔をまともに見ると単なる小道具に過ぎなかったエアメールをその手の中に収めた。
「ま、俺ぐらいになるとね。」
「…なにそれ;」
簡単に言ってしまえば「くっそ…瞬の奴…!」と呟きながら屋敷を飛び出して行った金髪のマトリョーシカを目撃し、更にもうすっかりグレイで何にも見えない景色を不機嫌そうに窓から眺めている(振りをしている)らぶりーぷりてぃーアンドロメダを発見したから…なのだが。
「最近カマをかけるのが面白くて。」
「…ヤな感じ。」
「そういうな。お前が面白くなさそうな顔をしているから心配してやったんじゃないか。」
「んー。」
瞬は適当に応えると近くにあった椅子を引き寄せ背もたれを前にしてまたがり、また視線を窓の外のグレイに戻した。

「めずらしいな。氷河と喧嘩するなんて。」
「…そお?」
「いつも上手く受け流してるからな、お前は。」
「………」

「………」
「………」
「………」
「………」

「だって氷河が悪いんだもん。」
やっぱり沈黙に耐えられなかったのは瞬だった。
むぅっとした表情ごと椅子の背と自分の身体が紫龍の正面に向くように体制を整えると、勢いに任せて身を乗り出し氷河が悪い理由を羅列しようとした。
「だって…だってさ、氷河ってば…!」
が、少し間を置いた後 軽く息を吸うと急に勢いを無くしてふにゃふにゃと元の位置に腰を降ろしてしまった。
そしてそんな自分を登場時と変わらない表情で見ている紫龍の視線に気付くと小声で
「氷河が悪いんだもん…」とごにょごにょ呟いた。

「あいつさっき屋敷を飛び出していったぞ。」
「だって僕が出て行けって言ったんだもん。」
「やるな。」
「もう帰ってくるなって。」
「それはひどい。」
「だって氷河ってばねぇ…!!」
心にも無い事相槌を打った紫龍に流されて勧善懲悪(この場合勿論「善」は瞬で「悪」は氷河である)を推そうとした瞬だったが次を続けようと息を吸った後、またしゅん、と止まり少し俯いてまたごにょごにょと「氷河のせいなんだから…」を繰り返した。

「言いたくなければ言う必要なんかないけど。」
紫龍は瞬の一連の動作を見て喧嘩の理由はよく判らないが悪いのは氷河だけではなさそうだという事を理解し、更に瞬は瞬なりにそれを反省している、と判断した。
「ま、たまには刺激になっていいんじゃないか?氷河もお前も。」
「ふーんだ。」
紫龍は立ち上がるとまたぶーたれ始めた瞬の頭をぽんぽんと叩き少し意地悪に微笑んだ。
「ま、迎えに行くなら早い方がいいな。雨降るらしいし。」
「むっ…迎えになんか行かないよ!何言ってんの?」
瞬のややムキになった反論を背中でかるく受け流すと紫龍ははいはい、と手を挙げて部屋を出ていった。

「バカ紫龍!」
瞬が紫龍の背中にそう罵倒を浴びせて3時間後。
彼は飽きもせず同じ格好のまま同じ場所で同じ様に窓の外を眺めていた。
相変らず氷河が帰ってきた様子はない。
3時間何かを考え抜いたらしい瞬がやっとその重い腰を持ち上げて部屋を出た。
もうみんな自室に篭っているのか廊下は人の気配もせずシンと静まり返っていたがそれでも瞬は慎重に静かにそうっと廊下を歩き、階段を降り、玄関から屋敷の外へと出ようとした。

「瞬。」
「ひやぁっ!」
突然自分の名前を呼ばれた瞬は悲鳴を上げると同時に条件反射で扉を勢いよく閉め、そのあとゆっくり振返った。
「紫…龍…」
そこには階段の途中から少し笑いながら瞬を見下ろしている紫龍がいた。
「何処に行くんだ?こんな遅くに。」
「べべべ別に!誰も迎えになんか…」
「そうか。」

「散歩に出るなら傘を持っていった方がいい。そろそろ降るぞ。」
そういうと紫龍はそこから瞬にピンクのビニール傘を投げて寄越した。
「紫龍…」
「あまり遅くなるなよ。沙織さんにどやされるからな。」
紫龍からビニール傘を片手で上手く受け取った瞬は少し考えてからありがとう、と紫龍に礼を言うと真っ暗な外へと出ていった。

「意外とお似合いかもしれないな、あのふたり。」
紫龍は 世話が焼ける、といった表情を見せて微笑むと、やっと「単なる小道具」から本来の姿である「大切なひとからの贈り物」に戻れたエアメールを片手に自室へと戻っていった。


外では紫龍の予告通り小雨が降り始めていた。




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