「送っていくか?」 「ううん。タクシー拾うよ。いくら僕だってね、氷河に送ってもらって、兄さんのとこに帰るなんて無神経なことはできません」 「俺と一輝のどっちを気遣っているんだ」 「僕は僕のことしか考えない」 「嘘をつけ」 それには何も答えず身支度を整える瞬を、氷河は、つい先ほどまでの情熱がまだくすぶっている瞳で凝視した。 「……瞬。おまえ、一輝と寝たことがあるか?」 「まさか。……残念でした」 「残念……。そうだな。残念だ」 問題は、一輝が瞬の兄だということなのだ。 一輝が瞬を抱いてくれさえすれば、氷河は同じ次元で、彼と瞬を争えるのに。 (……一輝は、瞬を自分に引きつけておく術を心得ている。本当は、自分の弟を抱きたくて仕方がないくせに) (早く――早く、瞬の兄でいることに耐えられなくなって、瞬を抱け。貴様がただの男になり下がりさえすれば、その時こそ、瞬は俺だけのものだ…!) 氷河の瞳が極北の氷の色を帯びてくる。 瞬は、氷河の考えを察知して、苦く笑った。 「やだな。氷河。普通、誰も考えないよ。自分の恋人を他の男に、なんて。それで、僕が兄さんに夢中になったら、氷河、どうするの」 「それはありえない」 「なに、それ。そんなに自分に自信があるの」 「もちろんだ。…が、おまえの性格を考えると――」 「性格?」 「そう。俺の方が、一輝よりずっと愚かにおまえに惚れている。俺は、おまえを自分の側に置くためになら、地べたにはいつくばって、おまえにすがるくらい、平気でするぞ。高潔な兄君を堕落させるより、ずっと気が楽だろう。もともとおまえの奴隷だった男を更に低く貶めるだけの方が」 「……氷河はそれくらい平気でやりそうだけど、それは氷河のプライドが兄さんとは違うところにあるだけで、プライドの高さなら、氷河の方が兄さんより上だと思うよ、多分」 「それも、おまえのせいでズタズタだ」 「……ごめんなさい…」 一瞬罪悪感に伏せられた瞬の瞼が、しかし、すぐにすがるような視線を氷河に絡めてくる。 「でも、僕、氷河が好きだよ。本当に本当に、死ぬほど好きだよ…!」 「わかっている。それだけは疑ったことはない」 「ありがと。よかった……」 微かな安堵を得てなお切なげな肩の瞬が、いつものように静かに氷河の部屋から夜の街へと出ていく。 氷河が瞬を見送るために寝台から出ようともしないのも、いつものことだった。 (……一輝。早く……早く耐えられなくなって、瞬を抱け。その時こそ瞬は……) この部屋から兄の許へと帰ることはなくなるのだ。 叶わないかもしれない夢に、氷河は強く奥歯を噛みしめた。 Fin.
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