「瞬……」

瞬は、城戸邸の庭に出ていた。
邸の西側にある林の中の、いちばん背の高い楡の木に背を寄りかけて、瞬は虚空を睨んでいた。

「瞬、すまなかった」
そんな瞬に、氷河は、情けないほどびくつきながら、謝罪の言葉を告げたのである。

瞬の返事はにべもなかった。
「氷河なんか、一生許してやらない」

「……そうか……。そうだな……」
当然の返答である。

花見の翌朝まで、暴行犯の乱暴さえ許すほど、瞬が氷河に好意を抱いていたのだったとしても、その後の犯人の言動を見ていたら、百年の恋も冷めるというものである。
むしろ、それ以前に抱いていた好意の分だけ、嫌悪も憎悪も増して当然だった。

しかし、氷河は、瞬に謝罪することの他にできることがなかった。
過ちを犯しながら生きている無力な人間には、時間を逆行させることはできないのだ。


長い沈黙の時間が二人の間に横たわり、その時間が過ぎ去った後で、瞬が、自分の前に為す術もなく突っ立っている男に、ちらりと視線を投げる。
そして、瞬は、小さく吐息した。
「どうして酔ってる時には、あんな恥ずかしいくらい大仰なセリフを連発できるのに、しらふだと何にも言えないの」
「……何を言ったんだ、俺は」

責められる言葉より、なじられる言葉より、沈黙こそが、氷河には痛かった。
瞬が口をきいてくれたおかげで、氷河は、呼吸することを思い出したような気分になった。

そんな氷河に、瞬が、再び呼吸を忘れてしまいそうな事実を教えてくれる。
「僕は桜の花より綺麗だとか、僕以外の誰も好きじゃないとか、好きになれないとか……『一生おまえだけだから、俺のものになってくれ』とか――」
「…………」

実際、氷河は、しばらくの間、息をすることを忘れたのである。
「お……俺が言ったのか? そんな恥知らずなことを?」

氷河の不信に満ち満ちた応答に、瞬はカチンときたらしかった。
「は……恥知らずでもっ! だから、僕は、あんなとこで、あんなふうに、あんなことされてもいいって思ったんだよっ!」
「瞬……」

瞳を潤ませて、そんな健気なことを瞬に言われてしまった氷河は、ここに至って、自身の沽券を保とうとすることの無益さを悟ったのである。

「瞬、すまんっ!」
氷河は、その場に土下座して、頭を地べたにこすりつけた。

こうなるともう、見栄やプライドなどかなぐり捨てて、開き直り、居直るしかない。
氷河は、額を地べたに擦りつけたまま、大音声で言ったのである。

「おまえは、桜なんかの百倍も千倍も綺麗だ! 俺はおまえだけが好きだし、おまえしか好きになれない! 一生おまえだけだから、俺を許してくれっ!」

「…………」

再び、瞬と氷河の間に沈黙が降りてくる。
しかし、今度の沈黙は、そう長くは続かなかった。

「……ばか」
瞬は、土下座している氷河の前に膝をつき――おそらく、瞬は、こんな馬鹿を許してしまう自分自身に呆れていたのだ――その手を取って、氷河の顔をあげさせた。

「ばかなんだから、ほんとに……」
瞬は、それ以外の言葉が出てこないらしかった。
「ばか」

「瞬……」

瞬に許してもらえるのなら、正真正銘、真性、天性、本物の馬鹿でも阿呆でもいいと、氷河は思った。






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