氷河に会うと、紫龍は、二度に一度は約束事のように、まともに他人の相手をしようとしない彼に尋ねるようになっていた。

「俺にはどうしてもわからないんだがな、氷河」
「何がだ」

「おまえが、そんなふうに無感動な男になった訳がだよ」
「俺は無感動なわけではないと思うが」

ニヒリストを気取っているわけではない分、病状は深刻である。
紫龍は、氷河の意見を無視した。

「おまえの家は裕福だ。経営者として有能な父親は、時代遅れのワーカーホリックなんかではなく、よき家庭人でもある。別嬪のお袋さんは、おまえを溺愛しているようだが、息子が親離れできないような愛情は向けなかった。おまえ当人はと言えば、顔の造形は見事だし、頭の出来も並外れている。生粋の大和民族から見れば、羨ましい体格をしてるさ。性格も、まあ、病的なところはないし、親父さんの才能を受け継いで有能で、処世術にも長けている。女にももてているようだな」

氷河自身が語ろうとしないので、氷河の表層的な情報の入手に関しては、紫龍は主に伝聞に頼っていた。
求めなくても、氷河に関する情報はいくらでも巷間にあふれている。
業界誌や一般週刊誌が好んで彼の情報を採り上げるのは、彼の記事を掲載した雑誌は売り上げが伸びるという、実に実際的な理由かららしい。
女性陣が争うようにして購入するのだという噂も、あながち根拠のないものではないようだった。

「なのに、どうしてそこまで無感動なんだ、おまえは。おまえのような奴を、ニル・アドミラリと言うんだ」
「ニル・アドミラリ? ラテン語か? 何事にも驚かず、何事も賞賛しない……だったか?」 

「無感動の極致。おまえのためにある言葉だ」
「言葉は、俺より先に存在しただろう」
氷河が、珍しく、当たり前のことを言う。

「俺はたまに、石ころに蹴つまづいてスッ転び、照れ笑いをするおまえを見てみたいと思うことがあるぞ」
「機会があったらな」

「…………」
取りつく島もないとは、このことである。
言葉を交わし、会話が成り立っているにしても、そこには共感も同感も存在しない。
これならば、完全に無視される方が、まだ感情というものを感じ取ることができる。

「本当につまらん男だな。なんでもう少し人生を楽しもうと考えないんだ。そうできるだけの金も才能も時間も機会もあるだろうが、貴様には」

「さあ」
抑揚のない声。

紫龍は、既に慣れてしまっていたが、氷河を知らない人間には、彼の態度は他人を見下したものにしか感じられないことだろう。
氷河自身は決して見下してなどいないのだが。
そして、確かに無視しているわけでもない。
他人との交流が、彼にとっては無意味だというだけのことなのである。

それは、地位と才能と優れた外見がなかったら、氷河自身が社会に見捨てられても仕方のない態度だった。
もっとも、そういう人に優る部分がもし彼に備わっていなかったなら、彼は、これほどまでに無感動な人間になることもなかったのかもしれないが。

知り合ってから数年、ほんの僅かの変化もない氷河に、紫龍は呆れたようにぼやいた。
「女を抱く時もそうなのか、おまえは」
「女は──飽きた。もっと面白いものかと思っていたんだが」
「面白いも何も、女は、惚れなきゃ面白くも楽しくもないだろう」
「そういうものか」

氷河なら、その手の相手に不自由することもなく、よりどりみどりなのに違いない。
何も考えず、その中でも最高レベルの相手を無造作に選び、彼は、そして、退屈だと言って捨てたのだろう。

騒ぎにならないのは、相手の女が、たとえ一時でも氷河と交際できることを光栄と思ったか、あるいは、暖簾に腕押しの氷河に、捨てないでくれと訴えることの無駄を悟ったか──いずれにしてもそんなところに違いなかった。

妊娠し発狂したエリスを、我が身の栄達のために見捨てた太田豊太郎の方が、氷河の無感動に比べれば、はるかにましである。
豊太郎は、それでも、異国の舞姫を見捨てることに苦悩したのだ──。


「俺はおまえのことを友人だと思っているが、おまえは俺が死んでも嘆きもしないんだろうな」
「人は誰でもいつかは死ぬ」
省略されているのは、『だから嘆くことは無駄だ』──。

「ああ、その通りだ……!」

こんな男と付き合っていられる自分を偉大だと思う。
紫龍は投げ遣りにそう言って、氷河と会ってしまった時はいつもそうであるように、あまり上機嫌とは言えない気分で、バーを後にした。





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