先代の配偶者との交代は、塔のある8階と7階の間に造られている踊り場のような場所で行なわれた。
本来は8階の塔から下りられないことになっている神の配偶者も、ここまでは下りることが許されているということだった。
そして、ここまでなら、神の配偶者の世話をする者たちや神官たちも上がることができる。

「私の次は男の子だと聞いたんだけど、ほんとだったのね!」
さぞかし神秘的な女性が現れるものと思い込んでいたシュンの前にやってきたのは、シュンより2、3歳歳上の、ずいぶんと明るい笑顔をした少女だった。
17、8歳ほどだろうか。

「2年はほんとに長かったけど、これで私も晴れて自由の身というわけね。外に出たら、まず思いっきり神殿の庭を走ってやるわ!」
彼女の笑顔は、彼女が自由を取り戻すことのできる時が近付いているためのようだった。
逆に、自由を奪われることになるシュンの方は、当然のことながら気持ちが沈んでいくばかりである。

そんなシュンに、先代の神の配偶者は屈託のない笑みを向けてきた。
「神の配偶者って言ったって、何にも心配することなんかないわよ」
「でも……」
「平気、平気。神様なんて来ないんだから。綺麗な服着て、おいしいもの食べて、ここで、ぼーっとしてればいいの」
「来ない……? 神様はいらっしゃらない……んですか?」

恐ろしく重大なことをあっさりと告げる年嵩の少女に驚いて、シュンは伏せていた顔をあげた。
そこに、実にあっけらかんとした表情の少女の瞳がある。
「当然でしょ。来るのは、神の配偶者の身の回りの世話をする下女たちと、あとは――時々、神官たちが顔を覗かせるくらいね」
「あの、ほんとに?」
「ええ、何にもしなくていいの。退屈を我慢してれば。ま、それがいちばん難しいことなんだけど」
「…………」

ヒョウガと同じことを、その少女は言った。
『2年間、退屈を我慢しろ』
――と。

それだけで――ただそれだけのことで、神聖な神の配偶者の務めが果たせるというのだろうか。
シュンには信じられなかった。

シュンの疑念を察したのか、2年の退屈を耐え抜いた少女は再び口を開いた。
「神官たちが言うにはね」
神の配偶者の地位は、形式的には神官たちの上に位置する。
彼女は、すっかり神官たちを見下した口調で、シュンに告げた。
「神様と人間では、時間の過ぎ方が違うんですって。私たちには2年でも、神様にはほんの一瞬。夕べ妻を可愛がったから、今夜も出掛けていくかって神様が思う一日の間に、神の配偶者は何十人も入れ替わってる。誰がそこに当たるかは、運任せってとこね。大事なのは、神様がいらした時、そこにいつも若い娘がいることなんですって」

その説明をあっけにとられて聞いていたシュンに、彼女は、小さな声で、更に、
「それも、本当に神様がいるとしての話だけど」
と、驚くべき言葉をつけたした。

シュンは、自分が神の愛に恵まれているとは思っていなかったが、神の存在そのものを疑ったことはなかった。
いくら神の代理人たちの無益な問答に失望しかけていたとしても、神の存在まで否定する気にはなれない。

「もっとも、あなたはわかんないわよ。聖鳥が4度もあなたのところに飛んだんですって? ほんとに神のご意思なのかもね」
「それは……」

それはありえない。
祭儀場でのヒョウガの態度を思い出すにつけ、シュンの運命を変えたのは、神ではなくヒョウガだとしか思えなかった。

その辺りは、しかし、彼女も心得ているらしい。
「なーんて、嘘よ。特別の餌を使ったの? 男の子でも神の配偶者になれると知ったら、次の配偶者選びの時は、街中大騒ぎね。これまでは娘のいる家だけであれこれしてたけど」
「そんなこと、神のご意思に――」

あまりにあけすけに神を軽んじる少女の言葉に、シュンが眉根を寄せる。
が、昨日まで神の配偶者だった少女は、ひどく現実的で、かつ、世俗的だった。
「誰だってやってるわ。神の配偶者になれば、一生食うには困らない。神殿に申し出れば、大抵の望みは叶えられる。正式に結婚はできなくなるけど、神の配偶者だった娘が、たった今だって、バビロンの街に10人20人といるわけで、その全部を見張っているわけにはいかないから、火遊びくらいならし放題よ。だから」

『この幸運を喜びなさい』
そう言い残して、先代の神の配偶者は、神殿の塔を出ていった。






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