城戸邸の客間のバルコニーから丸見えのその場所で、白鳥座の聖闘士は、アンドロメダ星座の聖闘士の肩を楡の木の幹に押しつけて──まあ、要するに、いわゆる逢引きというものをしていた。

「氷河、こんなとこで……誰か来たらどうするの」
「誰も来ない」
お決まりの軽い拒絶に、お決まりの返答。
氷河と瞬の逢引きは、こういう場合の作法にのっとって、実に一般的かつ伝統的に繰り広げられていた。

「誰かに見られたら……」
「月も見ていないぞ」
使い古された恋愛小説のフレーズをからかう言葉が、この場合、冗談になっていなかったことを、氷河が知るのは後のことになる。

「でも……」
「諦めが悪いな、どうせこうされるとすぐに──」
「あん……っ!」

氷河は、その手を、瞬のあらぬところに忍び込ませていったらしい。
瞬は小さな声をあげて、氷河の肩と胸とにしなだれかかっていった。

このままでは、潔癖な来客に、とんでもないシーンを鑑賞させることになってしまう──。
沙織が本気で慌て始めた時に、天から救いの手が差しのべられた。


氷河の胸の中で、氷河の手と指がしでかす悪行に耐えていた瞬が、ふいに身体を強張らせる。

「瞬?」
瞬をそうさせた原因に気付いて、氷河は小さく舌打ちをした。

晩秋の澄みきった水色の空を、一匹のトンボが横切っていく。
いつのまにか姿を消してしまった大勢の仲間たちを捜し求めているのだろうか。
広い空を独り占めしているトンボの様子は、どこか侘しげだった。

瞬が、氷河の胸に顔を埋める。
それが、自分の指先の悪ふざけに瞬が屈したからではないことを、氷河は知っていた。

「中に戻ろう」
「……うん」

氷河にとっては、不粋極まりない邪魔者。
沙織にとっては、天から差しのべられた救いの手。
それは、晩秋に入ってほとんど姿が見られなくなっていた、一匹の赤トンボだった。






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