ヒョウガが、シュンという従弟の存在を知ったのは、ほんの半年前。
バーデン大公国の大公であるヒョウガの許を、一人の老女が訪ねてきた時だった。

母を失ったばかりだったヒョウガに、彼女は、自分の務めの後任者を探してほしいと告げた。
ヒョウガは、彼女に会うのは初めてだったし、彼女の務めというのも知らなかった。

彼女の務め。
それはヒョウガの従弟の身の回りの世話をすることであり、それを彼女に命じたのはヒョウガの母だった。


ヒョウガの治めるバーデン大公国は、フランス、スイス、ビュルンブルク、バイエルン等と国境を接する、南ドイツ連邦に属する大公国である。
老女は、5年前、ヒョウガの母に多額の謝礼金を渡されて、スイスとの国境近くにある館に住む一人の少年の世話をすることを依頼されたという。
彼女にその指示を出したヒョウガの母が亡くなったのを機に、老女は、お役御免を願い出てきたものらしかった。

ヒョウガには、従弟の存在自体が初耳だった。

老女がその館に遣わされた時、少年は、母を亡くしたばかりだったらしい。
その少年は、ヒョウガより年下だったが、ヒョウガの父の兄の子であることから、バーデン国の王位継承順位は、ヒョウガより上ということになる。
母親が侍女あがりの貴賎結婚だったため、少年の父である前々大公の死と同時に、母親共々、ヒョウガの母親に宮廷から追い払われた――という言葉を、老女は使った――らしい。

その世話を極秘裏に彼女に命じたヒョウガの母が亡くなり、自身の年齢にも不安を覚えた老女は、決してそのことを公にせず、ヒョウガにも知らせないという、ヒョウガの母との約束を破って、バーデン大公国現大公であるヒョウガの前にまかりこしたらしかった。


シュンの父、ヒョウガの父と継承されてきたバーデン国の王位に、ヒョウガが就いたのは、彼が10歳の時。
ヒョウガが王位に就いて、既に10年が経っていた。

当初は母を摂政に置いていたが、現在では親政を敷き、ヒョウガ自身が国の実権を把握している。
ヒョウガの母は、彼女の息子が王としての地位を確実なものにしたことを確かめて、ある意味、責任を果たして亡くなったと言えた。
今更、ヒョウガより王位に近い人物が現れたところで、ヒョウガの王位は揺らぐものではなかった。

しかも、今は、バーデン大公国を始めとして、プロイセン、バイエルン、ザクセン、ボヘミア、ルクセンブルク、リヒテンシュタイン等のドイツ諸国統一の動きが出てきている。
ヒョウガ自身は、統一に反対の立場を採っていたが、時代の流れは、ヒョウガが王位に留まることを許してくれそうになかった。
王位がどうこうという以前に、国の存続自体が怪しくなりつつあるこの時期に、正当な王位継承者が現れたところで、シュンを担ぎ出そうとする者が出てくることを危惧する必要もない。

ただ、ヒョウガをバーデン国の王位に就けるために、正当な王位継承者を日陰の身に追いやることまでした母の気持ちが、ヒョウガには理解し難かった。
彼女は、ヒョウガにとっては優しく聡明な母で、臣民に対しては公平な摂政だったのだ。

それは、前大公様が――ヒョウガの父が――兄君の未亡人に親密なお心をお寄せになっていた節があるからですよ――と囁いて、老女はヒョウガの前から辞していった。






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