「──おまえが人間なのなら、あの男がおまえにしようとしていたことも、人間と同じか。別の意味があるわけではないのか」
「え……?」
氷河が、ハーデスが勘繰っていたことと同じ種類の疑念を、瞬に向けてくる。

「僕……よくわかりません……」
今度の答えは正直なものだった。
瞬は、“それ”の意味を、知っているようで知らなかった。

瞬が10歳の時に、エリシオンで最後の成人だった瞬の父は死んだ。
発電施設のメンテナンス中の事故だった。
その時に、瞬が心や身体を交えることのできる同族は地上から消え去った。

今わの際に、瞬の父は、たったひとりでエリシオンに取り残されることになる一人息子を見詰め、山を下りて人間たちと生きていくか、あるいはオリンポスに行くことを勧めた。
どちらを選ぶかは、自分で決めるようにと、彼は言った。
そのどちらを選ぶこともできないまま、6年。
瞬は、この白い塔の中で、たったひとりきりで生きてきたのである。

おそらく“それ”は、子供には教えられない類のことだったのだろうと、瞬は思っていた。
そして、瞬は、誰にも“それ”の意味を訊くことができなかった。

自分を見詰める氷河の視線に戸惑い、別の話題を求めて、瞬はぎこちない笑みを浮かべた。
「氷河、身体の方はもうすっかり回復したみたいですね。僕の方も準備ができたので、用意した薬草のサンプルと一緒に、明日、氷河の国まで送っていきます」

「また、あの男が来るかもしれない」
「用心します」
「あの男、妙な武器を持っていた──おまえは、それから俺を庇おうとしてくれたんだろう?」
「もっと強力な武器を、僕は持ってますから」

氷河を安心させるためにそう言ってしまってから、自分の迂闊さに気付いて、瞬は内心で舌打ちをした。
もっと強力な武器──神の持つ武器──を求めて、氷河はこのエリシオンにやってきたのである。
その事実を思い出させてしまったかと、瞬は、自分の失言に臍を噛んだ。

が、案に相違して、氷河はそのことにこだわる様子は見せなかった。
代わりに彼は、瞬にとっては思いがけないことを提案してきた。
「心配なんだ。俺の民たちへのオリンポスからの攻撃はないんだろう? 俺は、もう少し、ここにいたい」

「それは……嬉しいですけど」
本当に、それは思いがけない提案だった。

「嬉しい?」
氷河に問い返されてから、瞬は、初めて自覚したのである。
彼がいてくれると嬉しい。そう感じて・・・・いる自分自身を。

「あ、ひとりでいるのはちょっと寂しい……から」
そんな自分に困惑し、自身に言い訳をするように、瞬は言葉を継いだ。

ひとりでいる時には、かろうじて耐えていられたもの。
ふたりでいることの高揚感を知ってしまった後には、それが一層辛いものになるだろうことは、瞬には容易に予測できた。
自分の唯一の友が“孤独”だという事実は。

「人間と同じなんだな。よかった」
氷河が、目許に微かな笑みを浮かべる。

「…………」
氷河でも寂しさを感じたことがあるのかと、瞬は、むしろそちらの方が不思議だった。
そして、氷河の滞在自体より、自分を見詰める氷河の眼差しも嬉しそうに見えることの方を喜んでいる自分自身が、もっと不思議だった。






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