“隣りの家”といえるものはない。
その屋敷に隣接しているのは、春めいた色の空と小さな林だけだった。

家の門を入ると、庭の一角では、白い梅の花が今を盛りと咲きほころんでいる。
少し離れたところに、桃、杏、小手毬、雪柳、そして桜が、続く出番を待っていた。

これほど見事な庭を備えた洋館が、いかに都心から離れたところにあるとはいえ、賃貸料は相場の半額以下。
いったい何故と尋ねた俺に、不動産屋の所長は、意味ありげな含み笑いを向けてきた。

「それはもう、出るからに決まってます」
「……出る──とは」
「出ると言ったら、あれしかありません」

俺の外見に惑わされ、日本語を解さない相手と侮って、彼はそんな適当なことを言っているのかと、最初、俺は疑った。
たとえ『出る』のが事実だったとしても、それは秘密にしていた方が商売をするには都合がいいことのはずだ。

「俺は、日本語はちゃんと理解できるぞ。外見はこうでも、れっきとした日本人だ」
「存じてます。その若さで、アジアのみならず欧米にも大口顧客を抱えるIT企業を立ち上げて成功した立志伝中の人物。先だって、テレビでお姿を拝見しました」
どうやら彼は、俺を侮っているわけではないらしかった。

「狐狸妖怪の類が出るというのか?」
「ウチの店は、正直をモットーにしておりまして、後からクレームがつくような商売はしないことにしているんです。出るといったら、もちろん幽霊に決まっています」

『出る出る』とあまりに確信に満ちて断言する不動産屋に、俺は、
「……どういう素性の?」
と、間の抜けたことを尋ねた。
幽霊に素性も何もないじゃないか。

だが、正直をモットーにしているという不動産屋は、洋館の玄関のドアに古い型の鍵を差し込みながら、その質問を待っていましたと言わんばかりに気負い込んで、この屋敷に出る幽霊の素性を語りだした。






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