無論、DBはロボットではない。
化学的には、ヒトと全く同じたんぱく質で作られているものである。

私利私欲が皆無というわけではない。
向上心──すなわち、欲──がなければ世界は発展しないのだから、地球の指針を決定するDBがそれを有しているのは必然のことだった。

個性も重視されている。
欠点がないということは欠点であり、人間的魅力に欠ける。
そういうものの指示に、ヒトは従う気にならない。
DBはロボットであってはならなかった。
彼等は、“判断を誤ることのないヒト”、“失敗をしないヒト”でなければならないのだ。

厳正な正義、究極の公正、極端な平等を求めるように作られたDBは、現実を見失いやすく、狂人にも似た独裁者になる可能性のあることを、今ではヒトは知っている。

DB開発初期には、失敗作としか言えないうなDBも多数生まれた。
Aというウイルスに強いDNA設定が、Bというウイルスに弱いという結果を生むこともある。
理想を求めるあまり、現状把握能力に欠けるDBが生まれたこともあった。
DB台頭初期には、DBによる大規模な粛清反乱計画が露見したこともあり、それは、ヒトと穏健派のDBによって阻止された。

それらの経験を通して、ヒトは、理想の施政者像を掴んでいく。

冷徹ではなく冷静、峻厳ではなく柔軟、頑迷固陋ではなく臨機応変。
つまり、理想の施政者とは、ヒトよりほんの少しだけ判断力に優れ、ヒトよりほんの少しだけ理性的な、“ヒト”に他ならなかったのである。






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