つまらない結論を口にする代わりに紫龍が言った言葉。 それは、 「氷河。おまえ、マリリン・モンローが色っぽかったわけを知っているか」 ──というものだった。 「マリリン・モンロー?」 突然、半世紀も昔のアメリカのセックス・シンボルの名を出されて、氷河が僅かに顔を歪める。 氷河は別に、瞬に、彼女のような過剰な色気を求めているわけではなかったのである。 もっと上品で、秋の風情のように秘めやかに揺れ動く恋心の発露──氷河が瞬に求めているのは、そんなふうなものだった。 つまり、氷河が欲しいのは、瞬が自分に恋をしてくれているという、ささやかな手応えだったのである。 マリリン・モンローなど、そもそも氷河の好みではない。 瞬と並べて比較することすら嫌だった。 男に媚びることしか知らず、あまり知能も高そうではない肉体美の女。 それが、氷河の持つ、マリリン・モンローに関するデータの全てだった。 氷河の手持ちデータの量を見透かしたような顔で、紫龍は言葉を継いだ。 「マリリン・モンローは──彼女は、寂しかったから色っぽくなったんだ」 「……なに?」 紫龍の言わんとするところが理解できず、氷河は更に顔を歪めた。 「──まあ、おまえのタイプじゃないから知らないだろうが、マリリン・モンローは父親が誰かもわからない私生児でな。極貧の生活の中で、精神を病んでいた母親には疎まれるわ、実の祖母には殺されかけるわ、あげく、10数箇所の養い親たちの間を転々として育ったんだ。彼女は、俺たちでも歯が立たないくらい、まさに絵に描いたような不幸な少女時代を過ごしている」 マリリン・モンローは、氷河の好むタイプではない以上に、紫龍のタイプではない。 『そのわりによく知っているな』と、氷河は紫龍に言おうとした。半ばは揶揄、半ばは感嘆で。 が、紫龍は、氷河に口を挟む隙を与えなかった。 「そして彼女は、自分を愛してくれる相手を求めて、男に擦り寄るような笑顔を懸命に振り撒く女に成長したというわけだ」 「…………」 その結果彼女の身に備わったものが、あの白痴美的な表情だというのなら、確かに同情の余地はあるのかもしれない──と、氷河は思った。 それでも、彼女は、氷河の好みではなかったが。 「人に愛されたことがなかったから、人を愛する術も知らなかった彼女は、自分が誰かを愛することで満ち足りることはできなかった。必死に、自分が愛されることだけを願った。しかし、人は、それだけでは満ち足りることはできない。で、そこのところがわからない彼女は、ますます周囲に媚びたんだな」 では、彼女は、孤独から逃れるために周囲に媚を売り続け、そして、アメリカのセックス・シンボルと言われるほど色気過剰の女優になったということになる。 そこのところは氷河も理解したが、そのことと瞬とがどう結びつくのかが、氷河にはわからなかった。 「色気っていうものは、何かが足りないとか、欲しいものが手に入らないとかいう欠如感と焦燥感が培うものだろう。瞬が色っぽくなるはずがない」 そんな氷河に、紫龍が、この話を持ち出した者の責任を果たすべく、懇切丁寧な解説をする。 「今の瞬には、寂しさからくる憂いはない。当然、孤独を紛らすために他人に媚を売る必要もない。毎日、おまえと顔を会わせていられて、おまえは瞬に呼ばれれば、尻尾を振ってすぐに擦り寄っていくし、瞬がおまえを欲しくなったら、瞬はおまえのいるところに走っていけばいいだけなんだからな。しかも、瞬は、おまえとの別れの予感なんてものを全く感じていないんだから尚更だ。それは、おまえも同じだろう?」 「む……」 確かに、それは氷河も瞬と同様だった。 氷河と瞬の間には、色恋の感情以前に、共にアテナの聖闘士であるという、断ち難い絆があった。 いつまでも同じ道を歩んでいけるという確信が、氷河に破局を予感させないのだ。 「そういう不安や寂しさを感じないから憂いもなく、欠けているものもないから色っぽくならない。瞬はいつも明るく元気。真冬でも、ひまわりの花みたいにおめでたく笑っていられるわけだ。結構なことじゃないか」 それでいったい何が不満なのかと言いたげな口調で、紫龍はマリリン・モンロー話にけりをつけた。 |