Magic Touch






近代催眠術の開祖は、ルイ16世の時代にフランスで活躍したウィーン出身の医師メスメルだと言われている。
そして、それは、その後、彼の弟子ビュイセギュール、フロイト、パブロフ、エリクソン等多くの研究者たちの手を経て進化変転し、現在では心理療法の一種として認識されることが多い。
本人の意識のない深層心理にまで分け入り、トラウマの原因を探り出し、心因性の障害の解決に役立てる──というような。
当然のことながら、それは、非常にプライベートかつデリケートな作業であり、信頼関係で結ばれた術者とクライアントが第三者のいない個室で行なうべきものだろう。

その催眠療法が、テレビ等のマスメディアに取り上げられ、ショーとして公開されるようになったのは、いったいいつ頃のことなのか。
本来の目的から逸脱し、ただのショーになってしまったそれを、氷河は非常に胡散臭く思っていた。
催眠術自体やその効能を認めないわけではないのだが、公の場で行なわれる娯楽的な見世物になってしまったそれを、氷河は、9割以上がヤラセだろうと決めつけていたのである。


「おまえみたいに単純な奴は、簡単に催眠誘導にかかって、術者に命じられるまま、3べん回ってワンと吠えるくらいのことはしてのけるんだろうな」
だから、そのショーを見るために、意気込んでテレビのチャンネルを合わせた星矢に、彼はそんなことを言ったのだった。

実際には、催眠術は、単純であればすぐにかかるというものではないし、術に過度の期待を抱いている者は、むしろ催眠状態に誘導されにくいものである。
それは氷河も知っていたのだが、その時、彼は、そんなヤラセのショーを真面目に楽しもうとしている星矢に少々呆れていたのである。

「俺は単純なんじゃないぞ! 素直で純粋なんだ!」
仲間に馬鹿にされた星矢は、自分を馬鹿にしてくれた仲間をそう怒鳴りつけてから、ラウンジに備え付けられている65インチテレビ画面に向き直った。
意地でも催眠術になどかかってたまるかと言いたげに、全身を緊張させて。
ちなみに、そういう態度は、最も催眠誘導されにくい状態である。

氷河はといえば、実に素直かつ単純な反応を示してくれる仲間を苦笑混じりに見やりつつ、肩を怒らせた星矢のほぼ後ろにある一人掛けのソファに、非常にリラックスして腰をおろした。
ところで、こういう姿勢は、最も催眠誘導されやすい状態だったりする。

大型のテレビ画面の中では、いかにも胡散臭そうな術者が、スタジオにいる数人のタレントたちに、催眠術に関する簡単な説明を済ませると、早速催眠誘導の実演に入っていた。

『はい、あなたの目はもう開きません。時間はどんどん昔に遡っていきます。あなたも子供に戻っていきます』
どうやら今回のショーの術者は、年齢退行催眠を行なおうとしているらしい。
スタジオにいるタレントたちは、演技か本気かの見極めはできないが、ともかく皆が皆、魂が抜けてしまったように虚ろな顔をしている。

『20歳、19歳、18、15、10、9……今、あなたは8歳です。あなたは今、どこにいますか?』
テレビ画面の中の術者が、彼のクライアントたちに、わざとらしい猫撫で声でそう言った時だった。

「氷河!」
ラウンジのドアが勢いよく開けられて、その場に瞬が姿を現したのは。

「氷河ってば、僕との約束忘れてる? 20世紀ホラー映画特集、一緒に観にいってくれるって言ったじゃない。チケットも手配しておいてくれるって言ってたのに、今日でホラー映画特集の上映、終わっちゃうんだよ! 僕が一人であんなの観れないこと、知ってるでしょう!」

瞬に名を呼ばれた氷河が、それまで星矢と一緒に見入っていたテレビ画面から視線をあげて、瞬の入ってきたドアの方を振り返る。
そのまま──瞬の顔をじっと見詰めたまま、氷河は動かなくなった。






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