星矢と紫龍に、散々、単純の純真のと馬鹿にされまくった氷河が瞬の部屋を訪れたのは、その夜のことだった。 「かなり面倒をかけたらしいが」 「あ、ううん。8歳の氷河、可愛かったよ」 「生意気で小憎らしかったろう」 「そんなことない。ほんとに可愛かった。強かったし、優しかったし……ちょっと、色々驚かされもしたけど……」 これからしばらくの間、自分は、あの正直で健気な子供を 氷河の上に重ねて寂しがることになるのだろうと、瞬は大人の氷河の前で、切なく思った。 たった1週間一緒にいただけだったのに──そう思う側から、寂しさに胸が締めつけられる。 瞬をそんな感傷の中に放り込んだのが氷河なら、その感傷を吹き飛ばしてくれたのもまた、氷河だった。 彼の思いがけない報告が、瞬を感傷に浸らせておいてくれなかったのである。 「あのな、瞬」 「なに?」 「俺が──ガキの氷河が、絵日記を残してたんだ」 「絵日記?」 「とんでもないモノの絵が描いてあって、絵の横に、おまえを見るたびそれが腫れると書いてあった」 「え……?」 瞬は、思わず、氷河の前から逃げ出したくなってしまったのである。 これは、失われてしまった子供の面影を偲んで感傷に浸っている場合ではない。 よりにもよって、氷河にいちばん忘れていてもらいたかったことを、あの健気で正直な子供は、しっかり記録に残していたのだ。 瞬は、頬を真っ赤に染めた。 「8歳になろうが10歳になろうが、俺は俺で変わりようがなかったんだということで許してくれ」 「あ……」 この場から逃げ出したいという瞬の衝動を静めてくれたのは、氷河のその言葉だった。 それは少々遠まわしな告白で、氷河が答えを求めていることは、瞬にもわかった。 瞬は、だが、すぐには氷河に答えを返すことができなかったのである。 代わりに、瞬は氷河に問い返した。 「氷河……僕たち、どうして闘ってるのかな? 氷河はどうして、何のために闘うの」 瞬の答えは、本当は、8歳の氷河に再会する前から決まっていた。 だが、瞬は、どうしてももう一度、彼に確かめずにはいられなかったのである。 もしかしたら、瞬が氷河にそんなことを尋ねたのは、今の氷河の中に、あの8歳の氷河の心がかけらでも残っていてくれたならと、それを期待したせいだったかもしれない。 『でも、誰かが闘わなきゃならないんだろ? それなら、瞬の代わりに俺が聖闘士する』 『瞬と一緒にいられるのなら、つらくても、それでいいや』 8歳の氷河にそう言われた時から、瞬はあの強い子供のまっすぐな眼差しに、恋をしかけていたから。 自分が、あまり美しいとは言えないようなものを、とんでもない状態で瞬に見せていたという事実を知ったばかりの氷河は、瞬が目の前の男に恐れをなしていても、それは仕方のないことだと思っていたのかもしれなかった。 「何のためと言われて──俺がひとり敵を倒せば、おまえが倒さなきゃならない敵がひとり減るじゃないか」 「…………」 氷河の答えを聞いた瞬が、きつく唇を引き結ぶ。 大人の氷河の中に、あの8歳の子供が生きていることを知らされて、瞬は、不覚にも涙が零れそうになった。 「瞬……?」 氷河に気遣わしげな声音で名を呼ばれた瞬は、涙を振り切るようにして、顔をあげた。 瞬の目の中で、二人の氷河が一つの像に結ばれていく。 「氷河と一緒なら、僕もつらくていいよ」 そう言って、瞬は、氷河の胸に自分の頬を傾けた。 一瞬の間をおいてから、氷河の腕が瞬の背に回されてくる。 8歳の氷河が残していった絵日記に書かれていたことが、大人の氷河の身に起こっていることに気付いたが、瞬はもう、氷河の腕から逃れることは考えなかった。 Fin.
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