恋も二度目なら、少しは上手に愛のメッセージ伝えたい──。 そんな歌があったことを、俺は唐突に思い出した。 そんな昔の歌謡曲をなぜ俺が知ってるのかと訊くな。 知ってるものは知ってるんだから仕様がない。 曲名は確か、『セカンド・ラブ』。 俺は、この歌の作詞者を尊敬する。 目のつけどころが恐ろしくいいと思う。 思うに、世の多くの人間たちには、この着眼点が欠如している。 童話では、王子サマとお姫サマがめでたく結ばれれば、その後のことは語られない。 やおい話なら、初えっちが話の趣旨になることはあっても、二度目のそれはこれまた滅多に語られない。 俺は、これは手落ちだと思う。 大事なのは二度目だろう。 初めての恋、初めてのセックス、初めての結婚。 人は、それらのものに必死になる。 それらのことを経験しなければ人並みじゃないと思うんだ。 あるいは、それらのことを経験していないことで、他人に人並みじゃないと思われることを怖れる。 世の中には、人並みでいたいという義務感や焦慮にかられて、それらのことを実行する奴も結構な割合で存在するだろう(と俺は推察する)。 その実行後、自分はこれで人並みになったんだと安堵して、次のことは考えない。 だから、セカンドバージンなんて言葉も生まれるんだろう。 だが、問題は二度目だ。 特にセックスはそうだ。 恋愛や結婚は、一度経験すれば、人はそこから多くのものを得て十分に人としての成長を遂げることができる。 しかし、セックスはそうじゃない。 大抵の場合、初めてのセックスで人が手に入れることができるのは、『それをした』という事実だけ。 そんな事実だけを手に入れたって、何の益にもならない。 あれは積み重ねが大事なんだ。 そして、それを習慣化して、二人で楽しむことが。 セックスは、二度目をうまくこなして、やっと三度目以降がある。 つまり、習慣として成立する。 『ひとつ、ふたつ、いっぱい』ならぬ『一度目、二度目、三度目以降』だ。 |