──唐突に。 俺の苦悩懊悩がわかっているのかいないのか、紫龍が妙なこと言い出した。 「では、俺がいいものをやろう」 「いいもの?」 「地上の平和と安寧を守るのが務めの聖闘士の指しゃぶりなど、情けなくて見ていられないからな」 「いいもの……とは何だ?」 こいつの言葉を額面通りに受け取っても、ろくなことにならない。 俺は不信感に満ち満ちて、だが、藁にもすがる思いで紫龍に問い返した。 紫龍が、本当に真面目なのか、真面目を装っているだけなのかの判断に迷う真面目な顔を、俺に向けてくる。 そして、奴は言った。 「アフロディーテの薬。つまり、媚薬だな。俺の部屋にあるから、あとで進呈しよう。そいつを一滴、お茶にでも入れて飲ませれば、どんな清純な処女でも、気取った紳士淑女でも、即座に色情狂になるという、極めつけの一品だ。おまえの他に適当な相手がいないのなら、情欲にとりつかれた瞬がおまえに泣いてすがってくることを確約するぞ」 なんだ、その嫌味たらしい仮定文は。 それはともかく、そんな都合のいいものが実際にこの世に存在するのか? 精力増強剤なら、そんなものは俺にも瞬にも不要だぞ。 「いやに自信満々だが、試したのか?」 「無論だ。まあ、試したのは、人間ではなくパンダでだがな」 「パンダ !? 」 「発情期でもなかったのに、すごいことになったんだぞ。なにしろ、あの巨体で笹をなぎ倒して、組んずほぐれつの大格闘を──」 「詳細説明はいらん。効くんだな」 「効果のほどは折り紙つきで保証する」 「…………」 瞬をパンダと一緒にされるのは非常に心外だったが、紫龍の説明にはなかなか魅惑的なものがあった。 発情期でない動物をその気にさせるというのは、ただの精力増強剤にはない効用である。 パンダよりずっと小柄な瞬になら、その効果にもパンダ以上のものが望めるに違いない。 問題は、紫龍の言葉を信じていいのかどうかということだった。 「なぜ、おまえがそんなものを持っている」 「十二宮での闘いが間近に迫っていた頃に、どちらの側につくのか態度をはっきりさせない老師に、アフロディーテが皮肉で送りつけてきたんだ」 「皮肉?」 当時、魚座の黄金聖闘士は、天秤座の黄金聖闘士を、100歳ではきかない老人と信じていたはずである。 皮肉にしても意味のわからない皮肉だと、俺は思った。 まさか、アフロディーテが老け専だったわけじゃあるまい。 紫龍が、俺の疑念を見透かしたように、説明の言葉を重ねる。 「まあ、本当にあれを飲んで励めというつもりではなかったろう。おそらく、あれだな。諸葛亮孔明が、一向に戦場に出てこない司馬懿仲達を挑発するために女の衣装を送った故事に それを、老師は、自分には不要のものだと言って、紫龍に投げてよこしたらしい。 無論それは紫龍にも必要のないものだった──はずだ。 紫龍のそんな都合までは、俺も知らんが。 「なぜこんなものを俺にと、その時には訝ったんだが、老師は今日の日のおまえの苦悩を見越していらしたのかもしれないな」 年寄りのただの見栄だとわかっている口調で、紫龍は白々しいことを言ってのけた。 |