その年の正月、アテナの聖闘士たちは餅を食べることはできなかった。
もちろん、栗きんとんや伊達巻、錦玉子に百合根の甘露煮等、カロリーの高いおせち料理が正月の食卓に並ぶこともなかった。

「なんだってこんなことに……」
半べそをかきながら、ひねりこんにゃくの煮しめをかじる星矢の姿は哀れを極め、見る者の涙を誘うことになったのである。

城戸邸でただ一人幸福感に満ちた正月を満喫していた氷河は、(4)の意味の姫初めも、もちろん元旦のうちに執り行なおうとした。
瞬は、
「やだ……僕、氷河にほんとに食べられちゃいそうな気がする……」
と、びくびくしながら氷河の部屋に引っぱられていった。

こんにゃくの煮しめをかじっている星矢並みに、瞬のその様子は哀れを極めたものだったのだが、瞬は今日に限っては、仲間たちの同情を得ることはできなかった。
「それでも結局氷河に付き合うんだな、瞬の奴」
本心から嫌ならば拒めるはずなのにそうしないのだから、要するにそういうことなのだ。

死ぬほど嫌なわけではない。
むしろ根本的には好きなのだろう。
だが、瞬は、雑煮の餅ほどには積極的にそれを希求していない、あるいは希求することを恥ずかしいことと思っている──というところだろうか。
『その種の欲望が真実 人によって愛せられるものであるなら、それを厭うべき理由はない』(By 坂口安吾)──という氷河の域にまで、瞬はまだ未達なだけなのかもしれなかった。

「氷河と瞬のあれは、もはや習慣の域に達しているからな。盆も正月もない」
そう言って頷く紫龍は、ニンジンと大根の紅白生酢(砂糖抜き)を食していた。

意思の力は、容易に習慣の力に負けるものである。
理不尽な暴力や脅迫によってではなく、諦観によるものでもなく、“習慣の力”に逆らえずに、瞬は氷河のベッドに赴くのだ。
紫龍にはそうとしか考えられなかった。

人は、習慣が維持されることを『平和』と呼び、習慣を乱されることを『戦争』と呼ぶ。
そして人は、習慣を乱されるかもしれないという懸念だけで自ら戦争を起こすこともあるほど、習慣というものを愛する存在である。
瞬には氷河と××することが習慣であり、平和であり、平和を乱すことを好まない瞬は、どうしても氷河に従ってしまう──のかもしれない。
要するにこれは、“それ”を──人は“それ”を愛とも呼ぶ──ふたりの習慣にしてしまった氷河の勝利なのだ。

「まあ、悪い習慣なわけでもないし、習慣の力に逆らうためには、人は多大なるエネルギーを必要とするものだからな。正月から習慣に逆らって、自ら疲れる必要もないだろう」
「習慣ね……。俺たちは氷河と瞬とアテナに振り回されて過ごすのが習慣てわけか」
『一年の計は元旦にあり』の元旦からしてこうなのである。
今年がどういう年になるのかは、推して知るべしというところだった。

「ま、それもいっか」
アテナに歯向かう敵と対峙している方がよほど疲れないと思わないわけでもなかったが、正月の餅のことで騒いでいられる、この平和な時間が愛しい。
この平和な時間を殊更大切なものと思うこともないほどに、『平和』が人類の習慣になってくれたなら、どれほどいいだろう。

『世界平和』と『健康』と、そして『近い将来、餅が食べられますように』を祈願しながら、アテナの聖闘士たちの元旦は過ぎていくのだった。








今年が平和な年でありますように
&    
本年もよろしくお願いいたします






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