氷河に投げつけたひどい言葉を、それでも氷河は許してくれるのだろうかと、瞬は、絶望とも希望ともつかない思いに捕らわれ、迷い始めていた。
そこに、どこか呑気に響く氷河の声が降ってくる。
「だいいち、おまえ、何を謝ってるんだ? ひどいことというのは何だ?」
「え……?」

氷河に尋ね返されて、瞬は、一瞬返事に窮したのである。
あの最大音量の『氷河なんか大っ嫌い』が、氷河に聞こえていなかったはずがない。
もしかしたら氷河は、その優しさから、あの言葉をなかったことにしようとしてくれているのかと、瞬は考えた。
考えて──瞬は、最終的に、氷河の耳には あの罵声が聞こえていなかったのだという結論に達した。

氷河は、一つの目的を決めたら、その目的に向かって脇目もふらず まっしぐらに突き進む男である。
一ヶ月ほど前から、そして、たった今まで、氷河の『一つのこと』は『瞬』ではなく『不愉快な本の回収』になっていたのだろう。
それゆえ、この場合は幸いなことに、瞬の『氷河なんか大っ嫌い』も、彼はあまり真面目に聞いていなかったらしい。
そして、氷河が真面目に聞いていなかったことは、彼にとっては“無かったこと”なのだ。

その“幸いなこと”を利用するのは卑怯な行為だろうかと、瞬は一瞬迷ったのである。
一瞬間の後、氷河のために自分は卑怯者になろうと、瞬は決意した。
そして、言った。
「僕が……僕にそんな・・・こと・・させるのは氷河だけだから、もうやめて」
「瞬……?」

どうして氷河を信じられなかったのだろう──?
瞬は、何よりもそれが不思議だった──つらかった。
命懸けの闘いを共に闘い、氷河の気性も価値観も、癖ですらすべて知っていたはずなのに、氷河を信じきることができなかった自分自身が。

やがて、おそらく自分は、氷河に対してうぬぼれていたのではなく、ただ自信を持てずにいただけだったのだと気付く。
過ぎる傲慢も過ぎる卑屈も、結局それは、人を不幸にするだけのものなのだ──。

「ごめんね。ごめんね、氷河。僕、氷河が大好き」
もう決して、ひとりよがりの傲慢や卑屈のせいで自らを不幸にはしない──氷河を信じないことはしない。
そう決意して、瞬は氷河の胸に飛び込んでいった。

「瞬、急にどうしたんだ?」
瞬にきつくしがみつかれた その弾みで、氷河の『一つのこと』は、『不愉快な本の回収』から『瞬』に戻ったらしい。
どうしてこんな幸福が突然空から降ってきたのか、氷河はまるで理解していないようだったが、それでも彼は、やっと与えられた“瞬の答え”に、嬉しそうに戸惑ってみせた。

『一つのこと』が『瞬』に戻った氷河は、まっすぐに瞬を見詰め、その瞳に瞬の姿を映しだしている。
瞬は、彼の瞳に映る自分自身をなら、信じられそうな気がした。






Fin.






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