「でも、こんなちっこい犬がほんとに役に立つのか? このチビ、氷河に尻尾振る以外の芸があるようには見えねーけど」
それが作られた動機の探求ができないとなると、今度はその能力が気にかかる。
むしろ、実際的な問題はそちらの方だった。
そして星矢は、どう贔屓目に見ても動くヌイグルミ以外のものに見えないそれ・・に、彼のアテナを託す気にはなれなかったのである。

「じゃあ、芸を見せてあげるわ」
沙織はもしかしたら、新任のボディガードの能力を披露するために、その小犬を彼女の聖闘士たちの前に連れてきたのだったかもしれない。
ラウンジの隅にあった単脚のテーブルの上のメールトレイに載せられているペーパーナイフを指し示すと、彼女は明らかに楽しそうな様子で星矢に言った。

「そのペーパーナイフを私に思い切り投げつけてみて」
「え……?」
投げてみろと言われて、はいさいでとその指示に従うことは星矢にはできなかった。
なにしろ彼は、アテナの命を守ることが地上の平和につながると確信しているアテナの聖闘士だったのだ。

ためらっている星矢の代わりに、瞬が、掛けていたソファから立ち上がって、沙織が指し示した ナイフを手に取る。
しばらくゆったりとした動作で、あまり鋭くないペーパーナイフの刃の部分を指で触れて確かめていた瞬は、その場にいる者たちのふいを突くように突然、しかも無言で、手にしていたものを沙織の心臓めがけて投げつけた。
チェーンを敵に向かって放つ時よりもためらいなく、手加減もせず。
沙織の新しいボディガードの能力を信頼しきっているように。

実際、小犬のシュンは、星矢たちが驚きの声をあげるより先に、見事にそれをキャッチしてみせたのである。
恐ろしいスピードで氷河の足元から身体を起こしたシュンは、沙織が何らかの合図を送ったわけでもないのに、星矢たちが一度瞬きをする間に彼の仕事を済ませてしまっていた。
そして、口でキャッチしたそれを沙織の手に渡し、そのまま何事もなかったように氷河の足許に戻ると、再びお座りの体勢になった。

「すげぇ……」
それが、ドーベルマンやシェパード等の精悍で闘争心も持ち合わせていそうな犬のしたことなら、星矢たちもさほど驚きはしなかっただろう。
人間に愛玩されるためだけに可愛らしく生まれたような姿をした小犬の早業に、星矢たちは目を丸くした。

そんな青銅聖闘士たちの様子を見た沙織が得意げな顔になる。
「この子の実力はこんなものじゃなくてよ。この子は、人間の瞬の判断力と犬の強化された運動能力を備えているの。時速900キロ程度の銃弾なら、私の半径5メートル以内にいれば、しっかり阻止してくれるわ。実験済み」
瞬のためらいのなさは、つまり、その実験に立ち会ってシュンの能力を実際に目にしていたからだったのだろう。

無言で元の場所に戻り 長椅子の氷河の隣りに腰をおろした瞬にちらりと視線を投げてから、沙織は説明を続けた。
「小宇宙を使っての攻撃なら、私より強大な小宇宙を有しているのは神くらいのものでしょうし、一般の人間が加えてくる攻撃なら、この子が簡単に撃退してくれるわ。ね、シュン」

「わんっ!」
沙織の新しいボディガードは、まるで沙織の言葉の意味を理解しているように元気な一声を発した。



実際、その後、ヌイグルミのような姿をした沙織のボディガードは、彼の女神を立派に守ってみせたのである。
今時 大企業の取締役を一人二人排除しても、彼(もしくは彼女)が時代錯誤のワンマン経営者でもない限り、企業の経営に大きな破綻は生じない。
沙織個人が“普通の”人間に襲われるような出来事は実際にはほとんど起こらなかったのであるが、それでも彼女の周囲では日々大小の事故や事件が起こる。
シュンはそれらの事態をすべて華麗に――というより、愛くるしく――阻止してのけ、その活躍振りは政財界のお歴々の話題になるほどの鮮やかさだった――らしい。





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