白い魔女






今時は、シベリアの果てだろうが、アマゾンの奥地だろうが、低空軌道型人工衛星経由で携帯電話が使えるらしい。
が、氷河はそんなものを使ったことがなかった。
というより、使う気になれなかった。
人との交わりを断ちたいから、人間でごったがえす日本を離れ、1平方キロメートルあたりの人口密度が2.0人のシベリアにやってくるのである。
そんなものを持っていては、本末転倒というものだった。

だから、氷河が瞬の消息――正確には消息不明――を知ったのは、食料の買出しをするために、10日振りにアンバルチックの町に出た時だった。
瞬を避けてシベリアに引きこもっているというのに、あわよくば瞬の声を聞くことができるかもしれないという矛盾した期待を抱いて、氷河は用もないのに城戸邸に電話をかけた。
そして、その時に初めて、シベリアに向かった瞬の消息が途絶えているということを、星矢に知らされたのである。

氷河がシベリアにやってきたのが一ヶ月前。
瞬は、5日ほど前に、『氷河のところに行く』と言って、城戸邸を出たらしい。
仲間の許を離れた場所での移動の際にはこまめに連絡を入れるタイプの瞬が、ウラジオストック空港に着いたという最後の連絡から既に3日、城戸邸に連絡を入れていないというのだ。

「おまえがシベリアに行ったっきり戻ってこないからさ、引き止めておけないのなら、追いかけるって言って」
その気になればすぐにシベリアにやってくることのできる星矢たちが それをせずにいたのは、瞬が氷河の許に無事到着し、仲間たちへの連絡を忘れるほど楽しく過ごしているだけなのかもしれないという期待を抱いていたためらしかった。
その期待を裏切られた星矢の口調が辛辣になる。

「わかってるとは思うけど、おまえのせいだ。おまえな、人を試すのもいい加減にしろよ。瞬に追っかけられてるおまえは、そりゃ気分もいいだろうけどよ。瞬は、やたらと一人になりたがる振りをしてるおまえのこと、本気で心配してて――必死なんだからな」
「…………」
星矢にそういわれるまで、実は氷河は、自分のしていることがそうい・・・うこと・・・だと明確に自覚していなかった。

これまでに色々なものを失いすぎたせいで、氷河は差し延べられた瞬の手を素直にとることができなかっただけなのである。自分ではそのつもりだった。
いつかその手も失われてしまうのだとしたら、永遠にその手をとらずにいた方が傷付かずに済むのではないか――という考えが どこかにあったことも事実ではあったが。

だが、氷河には、瞬を試しているつもりなどなかったのである。
彼は、最初に対応を少し間違えただけだった。
初めて瞬に手を差し延べられた時にはむしろ、瞬の厚意が嬉しかった。
だが、なぜか奇妙な躊躇を覚えて その手をとらずにいたら、仲間に無視された形になった瞬が、置いてきぼりをくった幼い子供のようにいつまでも自分の後ろ姿を見詰めていることに気付き――氷河は、そんなふうに瞬に見詰められていることに ある種の喜びを覚えてしまったのだった。

そして、氷河は、離れられたくないのなら掴まえておけばよかったのに、追われることで瞬の気持ちを確認しようとした――し続けようとしたのだ。
瞬はいつ諦めるのか、どうせ諦めるに違いない――そう思いながら、しかし、瞬に手を差し延べられるたびにほっとして、氷河は瞬に自分を追わせ続けた。

星矢ですら気付いていたその事実に、瞬が気付いていないはずがない。
それでも瞬が、そんな身勝手な仲間をこの北の果てまで追いかけてきてくれたというのなら、確かに、瞬の行方が知れなくなったことの原因と責任は氷河の上にあった。






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