小公子






氷河の母親が亡くなったのは、氷河が6歳の時だった。
日本に向かうはずだった船――今は海底に沈もうとしている船――の甲板に立ち、彼女は、荒れ狂う北の海で、心許なく揺れるボートの上にいる我が子の姿を無言で見詰めていた。

彼女が何のために日本に渡ろうとしていたのか、目的地は日本だったのか、そこから更に別の場所に向かうつもりだったのか――氷河は母の真意を全く聞かされていなかった。
二人が向かう先にあるものが希望だけであったなら、彼女はその希望を息子に語って聞かせていたはずである。
おそらく、それは単純に楽しい渡日旅行などではなかったに違いない。

ともあれ、彼女は、氷河を生かし続けることだけが自分に課せられた義務で、その義務を己れの命を懸けて果たせたことを神に感謝するように――彼女が自分の一生に満足していたのか、彼女の生涯が幸福なものだったのかどうかは誰にもわからないが――北の海に沈んでいったのである。

それから氷河はひとりで――国の最低限の福祉制度にかろうじて助けられる形で、9年間の義務教育を終えた。
そして、幸運にも恵まれていた才によって後期中等教育を修了した後には、ハバロフスクの国立大学に進むことが決まっていた。
氷河が自分の出自を知ったのは、11年生学校シュコーラの卒業が間近に迫った頃、母の死から10余年が過ぎてからのことだった。






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