10数年後、星矢がその壺の存在を思い出した直接のきっかけは、大量のひまわりの花だった。
彼の友人である瞬が、大きく開いたひまわりの花を10数本、両手に抱えて星矢を訪ねてきたのだが、花束というには巨大すぎる その物体を飾るのに手頃な花瓶が、星の子学園にはなかったのである。

ちなみに、星矢は、まだ成人してはいなかったが、もう子供という歳でもなくなっていた。
星の子学園の子供たちの世話をしながら夜間高校に行かせてもらっていたが、それもさぼりがちで、彼は『リングにかけろ』風に手に入れられる栄光を夢見ていた。

一方の瞬は、星の子学園の近所にあるプロテスタント教会付属の養護施設育ちのおとなしい少年で、保育士・社会福祉士の資格を取るべく、やはり夜間の学校に通っていた。
性格も見た目も対照的な二人は、なぜか子供の頃から気が合い、10年来の親友だった。

「教会の生垣代わりにひまわりを植えてた場所をね、野菜畑にしようってことになったんだ。トマトやきゅうりなら今からでも今年の収穫に間に合うからって、今日の午前中に大急ぎで。うち、プロテスタントの教会でしょ。花なんて飾れないんだよ。でも、捨ててしまうのもかわいそうだから……」
だから、瞬は、その巨大な花束を抱えて、星の子学園にやってきたのだという。

「花瓶、ない?」
「それでなくてもデカいひまわりを、こんなにいっぱい飾れるような花瓶なんて……」
いっそバケツにでもぶち込んでしまった方がいいのではないか――と言葉にする直前に、星矢はあの壺のことを思い出したのである。

「壺?」
「うん。あ、でも、あれ青銅製とか言ってたな。水なんか入れたら錆びちまうのかもしれない」
「青銅は銅と錫の合金でしょ。水くらいで錆びたりしないよ。青銅って、金属の中で最も耐蝕性に優れてる金属だもの」
「でも、銅だろ。すぐ錆びるんじゃねーの?」
「だから、銅と青銅は違うんだって」

すっかり噂の壺の使用に乗り気になっている瞬に、星矢がエサをねだる猿山の猿のような目を向ける。
「俺はさ、どうせ持ってきてくれるなら、花なんかより食い物の方が嬉しかったんだけどなー」
「おやつも持ってきたよ。はい」

どうすれば星矢を働かせることができるのか、彼との付き合いの長い瞬は、そのあたりをよく心得ていた。
小山のようなひまわりの花束の間から、瞬が星矢の望むものを取り出す。
そうして瞬が星矢の前に差し出したのは、どういうわけか1本のバナナだった――星矢には、それで十分なのである。
餌を与えられて働く気になった星矢は、もらったバナナを頬張りながら、早速、子供の頃よく潜り込んでいた物置に瞬を案内してやったのだった。

「大きい壺だね。これならちょうどいい」
「だろ」
得意げに瞬に頷いてから、物置の隅で埃をかぶっていた その壺を外に引っ張り出すために壺の口の縁に手をかけた星矢は、その結構な重さに気付いて 眉をしかめた。
片手では動かせそうにない。
その事実に気付くや、星矢は、食べ終えたバナナの皮を床に放り投げて、両手でその壺を持ちあげた。

「うわ、本気で重いな、こいつ」
それでも運ぶことが不可能なほどの重さではない。
星矢は、青銅の壺を抱えたまま、物置の出口に向かって歩き出し――そして、バナナの皮にすべって転んだのだった。






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