カフェテリアのいつもの席に氷河が腰を下ろして間もなく、これまた いつものように彼の婚約者たちが同じテーブルに集結する。
今日がいつもと違うのは、エリスが、瞬から渡されたランチボックスを持って、その場にやってきたということだけだった。

「せっかく あの子が作ってきてくれたお弁当ですもの。採点ぐらいしてから返してあげましょうよ」
エリスの提案に、他の2人が異存を抱こうはずもない。
テーブルの中央に置かれたプラスチックのランチボックスに、彼女たちは期待のこもった視線を集中させた。

「どんなお弁当なのかしら」
「あんな子の作るお弁当ですもの、きっとタコさんウインナとか、ピンクの桜でんぶとか」
「あとあと、生ぬるいプチトマト!」
「ありそう〜!」

事前にひとしきり推測を楽しんでから、エリスは、もったいぶった仕草で問題のランチボックスの蓋を取った。
「うっ!」×3
途端に、愉快な推理合戦にはしゃいでいた3人の顔が引きつり、強張る。
そこには、彼女たちの期待した赤やピンク色の食材は何ひとつなかった。
だが、彼女たちが驚愕したのは、彼女たちの推測が外れたせいではなく――彼女たちの推測のはるか上空を滑降するモノがそこにあったからだった。

半分に区切られたランチボックスの主菜部分は茶色メイン、その横には緑の野菜が添えられている。
そして、主食部分には。
本人は否定するかもしれないが、どう見ても氷河の顔をかたどったとおぼしき得体の知れないものが、チャーハンらしきものの上に ででんと乗っていたのである。
顔は生ハム、髪は薄焼き卵、目鼻は昆布の佃煮で描かれており、しかも、かなりデッサンが狂っていた。

「こ……これ、氷河の顔、よね?」
「だと思う……」
「ものすごく前衛的……! というより、恐いんだけど」
「見て、氷河の目! これ、ドロップよ、お弁当にドロップ!」
「青い食材って、結構ないもの」
「青って毒の色なのよね。シアンの色でしょ。シアン化合物って劇毒だもの」
「確かに毒ね」

横目でちらりと本物の氷河の目を見てから、彼女たちはすぐに、その視線をランチボックスの主食を覆っている氷河の顔の上に戻した。
「にしても、すごいわね。シュールの極み。どういうセンスしてるのかしら。ピカソだってここまでは……」
「お弁当で心臓を止める気だったのかも」
「これを食べれる人って、かなりの勇者よ」
「そうね……」

その点に関して、3人の意見は一致していた。
これは普通の神経を持っている人間に食べられるものではない――と。
が、そこで突然、殺人的に奇天烈な弁当の隅に とあるものがあることに気付いたフレアが瞳を輝かせる。
「あ、でも、レンコンの磯辺揚げがある〜!」
「あなた、見知らぬ人間からの手作りおべんとなんて危なくて食べられないとか言ってたくせに」

「磯辺揚げは別よ〜! 高級料亭の懐石膳を食べ尽くして舌の肥えている私の口に合うかどうか、危険を顧みず、私が試食してあげるわ」
誇らしげに宣言して、フレアは手にしていたサラダ用フォークを問題の磯辺揚げに突き刺し、自身の口中に放り込んだ。
幾度か咀嚼を繰り返し、そして黙り込む。

突然静かになってしまったフレアを、あとの2人は心配そうに見詰めることになったのである。
30秒ほどの沈黙の後、フレアの口から出てきたのは、
「おいしい」
という、実に素朴な感嘆の言葉だった。
途端に、残りの2人が色めきたつ。

「そんなにおいしいの? じゃあ、私もご相伴に――」
「だめ! 磯辺揚げは全部、私の! あなたは、そっちのタケノコの土佐煮でも食べてなさいよ!」
「独り占めは許されな――あ、でも、この土佐煮もすごくおいしい!」
「わー、エビのオイスターソース炒めもいける〜」
「ねえねえ、もしかしたらおかずだけじゃなく、ご飯もおいしいんじゃないの?」
「でも、その氷河の顔が恐くて、食べるには勇気がいるわよ」
「脇によけちゃいなさいよ、そんな顔!」
仮にも婚約者の顔に対して随分な言い草だったが、これまで味わったことのない美味の前に、氷河の3人の婚約者たちはすっかり我を失ってしまっていた。

「いいわ。この顔、私が食べてあげる!」
果敢にも そう言い放って、氷河の顔にフォークを突き刺したのはナターシャだった。
形状がどれほど不気味でも、それは、高級料亭の懐石膳を食べ尽くして舌の肥えているフレアを満足させるほど美味な磯辺揚げを作った者の手になる芸術品なのである。
ナターシャは当然、
「おいしいーっ !! 」
という歓声をあげることになった。

強烈なデコレーションが取り除かれたランチボックスに、フレアとエリスのスプーンが我先にと取りついていく。
氷河の顔の下にあった卵とウナギのチャーハンは、2分もしないうちに綺麗になくなっていた。

思いがけない美味を食べ尽くした3人は、その後もしばらく放心状態に陥っていたのである。
やがて正気を取り戻したフレアが、軽く頭を横に振りながら呟く。
「……どういうことなのかしら。これ、普通の冷えたお弁当でしょ。なのに、三ツ星レストランや老舗料亭の料理より美味しいなんて――美味しく感じるなんて」
「これが本当にあの子が作ったものなら、あの子はお弁当作りの天才よ」
「その評価に異議はないわ」
――と、意見の一致を見たところで、3人はまた沈黙した。

1人分の弁当を3人がかりで食べたのである。
しかも、その美味のせいで、オーダー済みのランチプレートなど 今更 食する気にもなれない。
彼女たちが物足りなく感じるのは当然のことだった。

「もっと食べたいなー……」
フレアがいかにも未練たらたらといった風情で呟く。
瞬の弁当に釣られたのは、氷河ではなく、彼の3人の婚約者たちだったのである。






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