今はヒベルニア王の御座所となった陣屋には、ヒベルニアとの和平がなったガリアの王の姿があった。
彼の隣りにはヒョウガの主君であるヒベルニア王がいる。
神官ドルイドが同席していたので、王も騎士たちも皆 起立していた。

「シュン!」
「ありがとうございます……」
兄との再会も、二つの国の民が救われたことも、シュンにはこの上ない喜びだった。
それは事実だったのだが、シュンの声には力がなかった。

「国を救い、おまえを取り戻すのには、こうするのがいちばん手っ取り早いようだったんでな」
弟の無事な姿に安堵したガリアの王は、シュンをその場に連れてきたヒョウガをそれ・・と悟り、彼に告げた。
「弟を取り戻したい。貴公のゲッシュを教えてくれ」
「いいの! もう知っているから! そんなの、僕は聞きたくない……!」

兄の要求を、シュンは遮った。
いつになく鋭いシュンの声音に、シュンの兄が目を剥く。
シュンは、兄のために形ばかりの笑みを作り、それからヒョウガの方に向き直った。
「さようなら、ヒョウガ」

無理に笑顔を作るそばから、涙があふれそうになる。
止めようとする努力が無駄だということはわかっていたが、シュンはその努力だけはした。
それはやはり徒労に終わったが。
おそらくもう二度と会うことのない人の姿がどんどんぼやけていく。
そんなシュンの頬に指で触れ、ヒョウガはそれを拭いとった。

「シュン、おまえ、今のまま城に帰ったら、命を落とすぞ。おまえは俺のゲッシュをまだ手に入れていない」
「ヒョウガのゲッシュは――ヒョウガは、一生誰も愛さないことを神に誓ったんでしょう? 誰かを愛したら、神の加護を失って、ヒョウガは死ぬ。生きている限り、ヒョウガは誰も愛していない」
「……おまえは俺といる時、俺が生きていることを悲しんでいたのか? 俺はうぬぼれていいのか?」

そんなひどいことをよく訊けるものだと、シュンはヒョウガを恨めしく思った。
愛されている者はいつも高慢で残酷である。
愛していなかったら、それは到底許せるものではなかった。

「……それでも生きててほしいと思った……」
愛してしまったら、そう願わざるを得ないではないか。
そんなこともわからないのかと、シュンはヒョウガを責めてしまいそうになったのである。
シュンがそうする前に、ヒョウガはなぜかひどく楽しそうに笑ってシュンの手を取り、
「おまえは誤解している」
と呟いた。
「俺はこの戦さに出る前に、神と神の定めた立法者であるドルイドの前で誓約したんだ。『天が落ち来たりて、我を押し潰さぬ限り、我が誓い 破らるることなし。本日以降、俺は一生女と寝ない』」

「え……?」
初めて聞いたヒョウガのゲッシュの正確な内容が、シュンを驚かせる。
その場に控えていたヒベルニアの騎士たちは皆、ヒョウガのゲッシュと ヒョウガとシュンの間にあったことを知っていた。
彼等は二人を見守りながら、にやにやと愉快そうな、だが、あまり品位の感じられない薄笑いを浮かべていた。
「この戦さでヒベルニアに義はないと、皆が戦うことをためらっていた。誰かが相応の決意を示さないと、卑怯になれない騎士たちのせいでヒベルニアの民は飢え死にすると思ったんだ」

「あの時は、宮廷中の女が嘆いて、男共は呆れるやら無謀と評するやら、大変な騒ぎで――」
立場上、ガリアでの戦さが始まってからの内情を知らないヒベルニアの王が、ガリアの王と臣たちに事情を説明するという、おかしな事態が起きていた。
ヒョウガの無謀なゲッシュを知らされたシュンの兄が、呆れたようにぼやく。
「……なるほど強力な神の加護が得られるはずだ」

だが、そんな周囲の事共は、ヒョウガの目にも耳にも入っていなかった。
その点は、シュンも同様である。
二人の視線はただ、二人だけに注がれていた。
「『一生誰にも愛を捧げない』でもよかったんだが、そうしなかったのは俺の最後の賢明――いや、俺には、まもなくおまえに会えるという予感があったのかもしれない」
「あ……」
「要するにおまえは、決して浮気をしない、おまえだけに忠実な男に熱烈に愛されているということだ」
「ヒョウガ……!」

その名を呼ぶなり、突然異国の騎士の首にしがみついていった弟の姿に、シュンの兄が一瞬呆けた顔になる。
だがシュンは、敬愛する兄のそんな反応にも全く気付いていなかった。
「ひどい……ひどい! もっと早く……もっと早くに本当のことを教えてくれていたら……!」
「教えられていたら?」
「僕は ヒョウガと過ごしてる時間をもっと楽しめていたのに……!」

実に可愛いことを言ってくれる健気な恋人を、ヒョウガが抱きしめる。
ヒョウガがシュンに唇を重ねる前に、シュンの唇がヒョウガの唇に押しつけられていた。
覚えさせられ、すっかり身につけてしまっていたそれを自分からヒョウガに与えるのは、シュンはこれが初めてだった。
花や小鳥に為す口付けとはまるで趣の違うキスを、衆目の中、昨日までの敵国の騎士に惜しげもなく与える弟の様子を見せられて、シュンの兄は泡を吹いた。

対して、ヒベルニアの王の反応は至極のんきなものである。
「美女が駄目なら美少年とは……。とんでもないゲッシュを立てた騎士の身など、私が心配してやる必要もなかったか」
シュンの兄やガリアの騎士たちはさておいて、ヒベルニアの者たちはそのあたりの感覚が素晴らしく大様にできているらしく、彼等はこの大団円を素直に喜んでいるらしかった。

いずれにしても、ヒョウガはその日以降も彼のゲッシュを守り続け、生涯神の加護を得た最強かつ幸運な騎士であり続けたのである。






Fin.






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