嘆願書を書いたのは、問題の養護施設で育ち、12になるやならずで施設から出ることを余儀なくされたシュンという名の少年だった。
親はなく、施設を出されてからは、近くの貧しい共同住宅の屋根裏を借り、そこで雨風をしのいでいた。
若すぎ、仕事を得られるコネもなかったが、幸運にも覚えていた幾つかの外国語がシュンに糊口の資を得させてくれた。
近隣諸国から商売のために訪れる商人たちの通詞として働くことで、シュンは何とか日々の糧を得ることができたのである。
子供の通訳は相手に疑いの気持ちを抱かせることがなく、シュンは幾人かの雇用主には重宝がられていた。

だが、その仕事もいつもあるわけではない。
シュンは、仕事がない時には自分が生まれ育った施設に行って、そこにいる子供たちの世話を していた――無論、無報酬で。

本来ならシュンは、15歳になるまで その施設にいられるはずだった。
3年前に任を解かれた前院長は、特例申請を出して、シュンを特別に18になるまでここにいられるようにするつもりだとさえ言ってくれていたのである。
前院長が この施設の責任監督者の任を解かれるまでは、ここは子供たちには暮らしやすい良い施設だった。
子供たちは、決して贅沢なものではなかったが清潔な衣服を与えられ、飢えることもなかった。
シュンは前院長にその聡明さで目をかけられ、特に語学センスを期待されて、特別に院長から複数の外国語を教えてもらっていた。

その前院長が3年前に突然解任され、現院長が就任した途端、施設内の様相は一変した。
まだ12だったシュンは、ほとんど何も持たされず、寒空の下に投げ捨てられるように施設を追い出されてしまったのである。
かといって、シュンより年下だったために施設に残された子供たちが幸運だったかというと、決してそうではない。
服も食事もぎりぎり命を永らえられる程度のものに変わり、身体の弱い子供たちの中には、病を得て命を落とす者さえ現れた。
昨年 前国王の崩御に伴い即位した現国王の方針で、こういった施設への助成金の額は増しているはずなのに、である。

誰かが子供たちのために使われるべき助成金を横領しているのは確実だった。
既に施設を出されたあとではあったが、シュンは施設の子供たちの置かれた惨状を見兼ねて、 国王宛の嘆願書を書くことにしたのである。

異国語で書いたのは、目立つことで役人に目にとめてもらうためではなく、内容を解さない役人の目をすりぬけ、嘆願を握りつぶされずに済むことを期待してのことだった。
国民からの嘆願書は、かなり早い段階で、従来の利潤を守ろうとする者の息のかかった下級役人たちに握りつぶされているという噂があったのである。
外国語に堪能でない役人に当たれば、彼が嘆願の内容を読めないことが良い方に作用することもあるかもしれないと、シュンは考えたのだった。
シュンが期待したようにではなかったが、シュンの目論見は結果的に図に当たった。


院長が突然、それまで全く顧みることをしなかった子供たちの服やら食事やらの内容を気にし始めたのは、国王視察の連絡が入って間もなくのことだった。
院長はまず子供たちの外見の改善を図り、子供たちの身に着ける服はぼろ布ではなくなった。
視察当日の食事メニューの手配にも抜かりはないようだった。

袖のある服を身に着け、靴下を履けるようになったことを、事情を知らない子供たちは無邪気に喜んでいた。
そのこと自体はシュンも嬉しく思った。
だが、それがこれからも続くとは思えなかったし、これまでのありさまが国王の目から一度隠蔽されてしまえば、恒久的な改善が望めなくなることは確実だろう。

しかし、今は部外者にすぎないシュンには、院長の隠蔽工作に対して意見することはできない。
もうすぐ厳しい冬が来る。
身体の弱い子供は飢えと寒さで命を落とすようなこともあるだろう。

シュンは心配でならなかった。
せっかくの好機を何とか良い方向に向かわせることはできないかと、心底から思う。
粗末な木のベンチで、空き地のような庭を走り回っている子供たちを見やり、シュンは溜め息をついたのである。
子供たちが活発に外を走り回っているのは、動いていないと寒いから、だった。
施設の建物内には暖房がなく――ペチカはあったが、そこにたきぎがくべられることは、年に1、2度しかなかったのだ。

国王の視察は3日後に迫っている。
だが、シュンの中には、院長の卑劣に対抗するよい考えも思い浮んでこなかった。
院長の企みをへたに暴き立てて、その報復が子供たちに及ぶようなことだけは避けなければならない。
シュンの膝に乗ってシュンにしがみつき暖をとっていた2歳になるやならずやの女の子が、考えあぐねているシュンを心配そうに見上げていた。






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