Angélique






清らか・・・ってさー」
ダイニングルームに下りてきた氷河と瞬に向かってそう言う星矢の口には、ロールパンが丸ごと1個詰まっていた。
「そーゆーのを言うわけ?」

時刻は午前10時過ぎ。
一般的な勤め人ならオフィスで仕事に就いている頃、生徒・学生なら2時限目の授業中――といった頃である。

星矢が食べているのは もちろん朝食で、彼はついさっき、城戸邸に起居する青銅聖闘士たちの給仕をしてくれている貫禄あるご婦人に、ゆっくりしすぎている彼の起床について小言をもらったばかりだった。
そして、氷河と瞬がダイニングルームに入ってきた時、くだんのご婦人は既にダイニングルームから立ち去ったあとだった。
つまり、星矢よりゆっくりした起床をしでかしてくれた二人を責める人間は、既にその場にいなかったのである。
星矢がいつにない皮肉を口にしたのは、彼がその不公平に憤ったからだった。

星矢の言葉を聞いた瞬が少し気まずそうに、その視線を星矢の脇に泳がせる。
氷河と瞬は、いつもならもう少し早い時刻に――少なくとも星矢の起床よりは早く――朝食の席についているのである。
それが今朝に限っていつもより遅くなったのは、氷河の強引さに瞬が負けたからだった。
つまり、朝の光の中で氷河に腕を引かれた瞬は、抵抗する機会を逸し、彼の下に敷き込まれてしまったのである。

「ハーデスの人を見る目ってのも、案外大したことねーよな」
瞬が氷河とそういうことになったのは、冥界の王が瞬に憑依する以前のことだった。
無論、ハーデスは二人がそういう関係を持つ はるか以前に瞬に目をつけていたわけで、たとえ神といえど、当時のハーデスに、自分の選んだ人間が同性と恋し合うことになる未来に考え及べたはずもない。
その点で、ハーデスに対する星矢の批評は不当だった。
そして、別の意味で、星矢の非難は、氷河にとっても不当極まりないものだったのである。

明確に気分を害したていで、氷河は、口中のロールパンをやっと飲み込んだ彼の仲間に蔑むような一瞥を投げた。
「世の中には、目覚めているのに寝ている奴もいれば、目が開いているのに現実が見えていない奴もいるようだな」
「どーゆーことだよ」
「瞬は清らかだぞ。それこそ天使のように」

氷河のその言葉に、ぶはっと星矢が大きくむせる。
彼が口中にあったものを既に喉の奥に送り込んでいたことは、その場にいた者たちにとって大いなる幸いだったろう。
無論、瞬が“清らか”だということは、星矢も知っていた――わかっていた。
ただ彼は、その“清らか”に冠せられた形容句の突飛さに吹き出してしまったのである。

氷河のためにグラスポットからカップにコーヒーを注いでいた瞬も、星矢同様、氷河の発言には驚いた。
瞬の場合は、“天使”よりも“清らか”の方に。
瞬は、ハーデスが自分を選んだのは、彼の魂が地上に解放された際に自分が無垢な赤ん坊だったからなのだろうと思っていた。
その時から十数年、自分の清らかさは とうの昔に失われた――と、瞬は思っていたのである。






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