大いなる希望






氷河は、その手で自らの師を倒した。
自分は、師の命を奪った者を倒した。
どちらが より不幸な人間・・なのだろうと、考える。
そして、どちらが より不幸なこと・・なのだろうと。

一般的に見れば、より不幸なのは氷河で、より傷付いたのも氷河なのだろう。
師の仇を討つことのできた自分を幸運と思う者もいるかもしれない。
だが、氷河は彼ひとりの中だけで全てを終わらせることができた。
しかも、そこに憎しみは存在しない。
氷河の苦しみにも悲しみにも痛いほどに共鳴することはできるが、それでも、より不幸な状況にあるのは自分の方だと、瞬は思った。


自分自身が危害を加えられたわけではなのに――命を奪われそうにはなったが、それは瞬にとっては大した危害ではなかった――瞬は、自らの意思で、師の仇であるアフロディーテと対峙し、彼を倒した――のだ。
もしアフロディーテを愛する者がいたなら、その者は瞬を憎むだろう。
その者が瞬を倒したら、今度は瞬を愛する誰かが同じことを、瞬を倒した者に対して為そうとするかもしれない。
そして、それは永遠に繰り返される。
瞬はそんなふうな未来を想像して、ぞっと背筋を凍りつかせたのである。

幸か不幸か、瞬は今 生きている。
アフロディーテに関わる人間が瞬の命を狙ってこないのは、あるいは十二宮の戦いでアフロディーテ側の人間が根絶やしにされたからなのかもしれない。

一つの戦いを真の意味で終わらせるには そうするしかないのか、結局は相争う2つの陣営の一方が一人残らず消え去ることしかないのかと、瞬は、自分たちとは直接関わりのない戦いの映像を見て思ったのだった。






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