「ははははははは……なにっ !? 」
これ以上ないほど上機嫌で快哉を叫んでいたルネの鞭を持っていた手が、突然強い力で下方に引っ張られた。
バルロンの鞭は、いまだに氷河の身体に巻きつく作業にいそしんでいる。
その鞭に、ルネは、ぐいぐいと強烈な力で引っ張られているのだった。
つまり、すなわち、要するに、氷河の犯した罪をすべて告発しきるには、ルネの鞭はあまりにも短すぎたのである。
「私の鞭の長さが、た……足りないっ !? こ……こんな若造がそれほどの回数をこなし――いや、これほどの罪を重ねてきたというのかっ! うわぁ〜っ!」

責務を全うしようとする鞭に引きずられて、ルネは法廷の階段を転げ落ちた。
瞬が慌てて彼の側に駆け寄り、この法廷の主を助け起こす。
瞬は、端正な(はずの)顔を引きつらせまくっているルネに、ついほろりと同情し、法廷の裁判官に彼なりのアドバイスをしてみたのである。
「あの……鞭が巻きつく回数を、罪の数じゃなくて、罪を犯した夜の数にしてみたらどうでしょう? そうすれば巻きつく数はかなり減ると思うんですけど」

ルネは、敵のアドバイスなど聞きたくもなかった。
というより、そのアドバイスを実行したくても、そうすることは彼には不可能だったのだ。
バルロンの鞭が罪人の身体を取り巻く数は、その人間が犯した罪の数――と、冥界の掟で定められており、それはルネ自身にも変えることのできないものだったから。

意地でも鞭の柄を放そうとしないルネの頑固さに嘆息してから、瞬が、法廷を埋め尽くしている映像をぐるりと見まわす。
「これは――これも罪なんですか? いい気持ちになれるし、誰にも迷惑をかけてないし、誰かの命を奪うこともしていないのに」
この行為を罪だというのなら、それは冥界の掟の方が間違っている。
瞬は確信をもって、ルネに問い質した。
それから、氷河の身体から浮かびあがってきた罪の一つを指差して、懐かしい表情を浮かべる。
「あ、この時の氷河はすごく優しかったんですよ。僕が誰かを傷付けてしまった日の夜だった……。神様はそれを罪だといって責めるのかもしれないけど、氷河は許してくれた……」

(こ……この子は、この おびただしい18禁映像のすべてを、いちいち記憶しているのか〜っ !! )
ルネは心の中で、驚嘆の悲鳴をあげた。
いったいこの法廷がこれからどうなってしまうのか、もはや見当もつかない。

「――神が人間を裁くものなら、人間を許してくれるのは同じ罪びとである人間だけなのかもしれないですね。そして、それは罪びと同士の馴れ合いなんかじゃなく、多分、愛というものなんだ」
罪の数以上に氷河や仲間たちの愛や優しさを知っている自分の幸福に思いを至らせ、瞬は瞳を潤ませることをしたのである。

が、ルネはそれどころではなかった。
鞭は氷河の身体にぐるぐると巻きつき続け、その鞭に引きずられる形で、ルネは既に氷河の足元にまで辿り着いていたのだ。
「鞭の長さが足りないー! 足りないー。なぜだ。なぜこんな男がこの世に存在するのだ〜〜っっ !! 」
ルネの悲鳴は哀れを極め、混乱を極めていた。
さすがに憐憫を覚えた瞬が、ごく控えめに彼に提案する。

「僕のチェーンをお貸しましょうか? それでも足りないとは思いますけど」
「きっ……君のチェーンは何光年の彼方にも飛んでいけるのではなかったのか! それでも足りないだとっ!」
「飛んでいけますけど、だって、氷河の愛と優しさは無限だもの。ネビュラチェーンでも、多分、その果てまでは追いかけていけない」
「愛? こ……これが愛だと言うのか! なんという破廉恥なっ!」

ルネの意見はもっともである。
当事者たちの脇で傍観者を決め込んでいた星矢と紫龍は、瞬よりはむしろルネの意見に同感していたのだが、彼等はその考えを言葉にするような愚行を犯すことは露ほども考えていなかった。
愛よりも強い力がこの世に存在するはずがない。
特に氷河と瞬の奇天烈な愛に勝てる者など、この世に存在するわけがないのだ。

「人が生きるために、植物や動物の命を奪うことを罪だと言うあなたには、氷河が僕を大切に思ってしてくれることですら罪になるんですね。生きていることが罪で、愛することが罪で――それで人間が存在することにどんな意味があるの。罪を犯さないために、飢えて死ねと言うの。人を愛するなと言うの。それとも、この世に生まれてくるなと言うの」
この法廷を支配している法は間違っている。
今では瞬は、そう確信していた。

「あなたは何が正義なのか決めるのは神だと言った。その神が定めたことわりにのっとって判断すれば、僕や氷河は罪人だと言う。でも、他者の命を奪わずには生きていけないものとして、僕たちを作ったのも その神ですよね」
「たたたたたりない……長さが足りない〜っ!」

「僕たちは――ううん、人は誰でも、そんなふうにして与えられた命を懸命に生きようとしている。僕は、本当にこの身が滅んで神の前に立った時には、多くの人を傷付けてきた罪の報いは甘んじて受けるつもりです。でも、僕は、たとえ神の前ででも、僕たちの愛が罪だなんて認めない……!」

それは実に感動的なスピーチだった。
が、なにしろ瞬の周囲には、氷河の愛と罪の映像であるところの18禁映像がひしめきあっている。
ルネは瞬のスピーチに感動するどころではなく、それ以前に、瞬の言葉の意味を考える余裕すら、彼は持ち合わせていなかった。
今では彼は、長さの足りない鞭を自分の方に引き戻そうと、渾身の力で法廷の床に両足を踏ん張っている状態だったのだ。

「なななな何を生意気な! 罪ある人間の分際で……長さが足りない〜っ !! 」
静寂の法廷は、今や阿鼻叫喚のちまたと化していた。
主に、静寂を好むことで名を馳せた天英星バルロンのルネの雄叫びによって。






【next】