夕方、城戸邸にケーキが届いた。 ユダヤの一日は日暮れと共に始まる。 世界はいよいよ クリスマスムードが最高潮を迎えるイブに突入しようとしていた。 が、氷河は相変わらず仏頂面で、彼の意地を張り続けている。 せっかくのお祭りの夜に氷河の愛想のない顔など見ていたくないと言わんばかりに、星矢は届けられたケーキのあとを追ってダイニングルームに行ってしまい、紫龍の姿もラウンジにしない。 何をするでもなく――しいて言うなら、憤り続けている事実を誇示するために――不機嫌そうな顔でラウンジのソファに座っている氷河の様子を見て、瞬は小さな溜め息を洩らしたのである。 困ったような目をして、瞬は氷河の隣りに場所を移動した。 「今夜はもうイブなんだよ。ね、氷河、そろそろ機嫌なおして。一緒にミサに行こうよ」 丸々3日間、本当に瞬と言葉を交わしていなかった氷河が、幾分反抗的にではあったが、ついに口を開く。 「俺は 相変わらず不機嫌そうな声音ではあったが、氷河がやっと口をきいてくれたことに、瞬は力を得たのである。 「もともと一つだったイエスの教えをオーソドクスだのカソリックだのプロテスタントだのに分けたのは神様じゃないよ。氷河がカソリックの教会のミサに参列しても、神様は気にしないと思うけど。僕だって、アテナの聖闘士だし」 「それを気にしないのは、神と日本人くらいのものだ」 それでもまだ意固地な態度を崩さない氷河の右の腿に 右手の指先で触れて、瞬は精一杯氷河に媚びてみたのである。 「……氷河のしたいことは、帰ってきてからだってできるんだし」 滅多に見られない瞬の媚態に遭遇しても、氷河は折れなかった。 意地を張った子供のように、ぷいと横を向く。 が、彼は、瞬の手を払いのけることはしなかった。 瞬が、二度目の溜め息を洩らす。 「氷河は本当は何に腹を立ててるの。僕がイブにミサに行くなんて言い出したから怒ってるわけじゃないんでしょ」 瞬はもちろん、その計画を氷河に告げた時、氷河にも一緒に行こうと誘ったのである。 二人きりでいることがベストなのではあろうが、それでも、いつもの氷河なら、瞬と一緒にいられればそれで良しと考えて、快く同伴を受けあってくれるはずだった。 そう瞬は思っていた。 思いがけない氷河の反発に驚いたのは、むしろ瞬の方だったのである。 「おまえこそ、なぜ今年に限って そんなものに行くなんて言い出したんだ。多宗教無宗教の日本人がクリスマスに浮かれて、にわかクリスチャンを気取っているだけなら、俺も何とも思わない。だが、おまえは違うだろう」 横を向いたまま――なぜか悔しそうな口振りで、氷河が瞬を問い質す。 「僕はただ――」 なぜ氷河が、いったい何に憤っているのかはわからないまま、瞬は彼に問われたことに答えようとした。 が、氷河はそれを遮った。 まるで、瞬が真実を話すことはありえないと確信しているかのように。 「神にすがるってのは――絶望しかけている人間が最後の最後にやることだ」 無宗教多宗教の人間がその人口のほとんどを占めるこの国には、『苦しい時の神頼み』などというふざけたことわざさえ存在する。 普段の生活で神の存在など意識しない日本人が 神というものに思いを馳せる時、その胸中に存在するものが何であるのかを、氷河は、あまり楽しくない方向に推察しているようだった。 「僕が絶望しているように見える?」 まだ氷河の怒りの核心は見えない。 それでも瞬は、氷河に問い返した。 もちろん、『僕は絶望してなどいない』と訴えることを意図して。 だが、氷河は、瞬のその手の言葉には全く信をおいていないらしく、瞬の訴えをまともに聞こうともしなかった。 そして、瞬にとっては思いがけないことを、彼は忌々しげに口にした。 「ハーデスのこととか、それでもなくならない闘いとか――おまえが命を懸けても、世の中は何も変わらなかった。おまえがこの世界に絶望しても不思議じゃない」 その事実に腹を立てているのは、瞬ではなく氷河の方のようだった。 氷河にとってはイエスより大切な存在が、その命を懸けることまでしたというのに、地上に真の平和は訪れなかったのだ。 怒りを抑えきれず、静かに憤っている氷河を見詰め、瞬は瞳を見開いた。 氷河の怒りの訳を、ようやく理解する。 瞬は、意地っ張りなキリスト教徒の横顔を見詰め、唇を引き結び、それから、ゆっくりと微笑した。 これほど自分を思ってくれている人がいるというのに、どうして絶望などしていられるだろう。 瞬はもちろん、絶望などしていなかった。 |