カノンと沙織の会談は、30分もかからずに終わったようだった。
青銅聖闘士たちが集まっているラウンジにやってきた沙織が、彼女の聖闘士たちに言う。
「せっかく日本にまで来たのだから、観光でもと思ったのだけど、すぐに聖域に帰るそうなの」
「あたりまえだ! 仮でも偽でも黄金聖闘士が、ディズニーランドに行きたいだの、浅草でどじょう鍋を食いたい だの言い出したら、俺が野郎をすまきにして皇居の堀に投げ捨てているところだ!」
「彼がそういう楽しいことを言い出してくれていたら、あたなと瞬に案内役を頼んでいたのに」
怒髪天を突いている氷河という火に 油を注ぐようなことを、沙織は平気で言ってのけた。

いくら何でも、さすがにアテナにまで八つ当たりをするようなことはするまいとは思ったが、瞬が絡むと氷河は今ひとつ分限というものを わきまえなくなる。
万一のことを考えた紫龍は、その場の話題をそらすことにした。
「そんなことより沙織さん。結局、聖域はこれからどういう体制でいくことになったんですか」
「え? 何のこと?」
「何のこと――と言って、今日はカノンと聖域の今後のことを話し合ったのでは?」

黄金聖闘士たちが皆 冥界で、この世界を救うためにその命を供したといっても、アテナの聖闘士たちはまだ幾人も生きて存在している。
そして、この先 新たな敵が現れないとは誰にも言えない。
聖域には新しい体制と秩序が必要であり、その決定は急務なのだ。

「そんなことは話し合ってなどいなくてよ。カノンは、あなたがたの体調が回復したことを聞いて、瞬に会うために日本にやってきただけですもの」
「へ?」
思いがけない沙織の言葉に、星矢が瞳を見開く。
氷河は ぴくりとこめかみを引きつらせた。
そんな氷河を横目に一瞥してから、沙織は再びおもむろに口を開いた。
「瞬と話をして、事と次第によっては謝りたかったのですって。瞬は見込みがあるし面白い聖闘士だと言っていたわ。彼は瞬がとても気に入ったようよ」

沙織のその発言によって、氷河の“引きつり”は こめかみだけでなく顔全体に及ぶことになった。
自身の腹立ちをどういう言葉で表現すればいいのか、咄嗟に思いつけずにいるといったていで 拳をぶるぶる震わせている。
その横で、瞬もキツネにつままれたような顔をしていた。

「あのカノンがそんなこと言うかー?」
カノンには散々馬鹿にされた記憶しかない星矢が、素頓狂な声をあげる。
どう考えてもカノンは、『事と次第によっては謝りたい』などという殊勝な言葉を吐くタイプの男ではない。
まして瞬は、彼に命を救われるような――カノンにしてみれば、思い切り目下の青銅聖闘士なのだ。
沙織の言葉は到底事実とは思えなかったし、冗談であるとしたら、それは笑えない冗談だった。

だが、それは決して冗談などではなかったらしく、沙織は彼女の聖闘士たちに真顔で頷いてみせたのである。
「現にそう言っていたんだから仕様がないでしょう。瞬は、聖闘士が最初に捨ててしまうものを持ち続けて、その上で聖闘士でもあり続けている。彼には瞬は初めて見るタイプの聖闘士で、瞬の存在自体が彼には新鮮な驚きだったんですって」

言わない。絶対にカノンはそんなことを言う男ではない。
それが青銅聖闘士全員の共通した認識だった。
星矢も紫龍も氷河も瞬までが、彼等の女神の言葉を信じていなかった――が。

「彼にとって瞬はね、地上の平和のためにその命を捧げた黄金聖闘士たちと同じことを、たった一人でしようとした人間なのよ。彼の気持ちがわからない? 彼が瞬を認めることは、黄金聖闘士たちを尊重することなの」
失われた者たちを悼んで少しつらそうに、沙織がその言葉を言い終える前に、瞬の瞳には涙があふれていた。

黄金聖闘士たちを失って、自分だけが生き延びて、もしかしたら冥界の闘いで最も傷付き、今も苦しんでいるのは、他の誰でもない カノンその人なのかもしれない。
冥界での闘いで 聖域は――この世界は、大切な命たちを一度に失ってしまった。
そしてカノンは、ついにその12人の中に入れて・・・もらえなかったのだ。
生き続けて、しなければならないことが、彼にはあったから。

「氷河、強力なライバル出現だな。相手は、正真正銘の黄金聖闘士だぜ!」
しんみりしかけた空気を振り払うように、星矢が元気よく氷河に発破をかける。
氷河はまだ、言うべき言葉を見付けられずにいた。






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