「よいか。必ず必ずあの二人を無事に地上へと帰すのだ。ハーデス様のご寵愛を維持したかったら、二度とあの大馬鹿者が冥界に来ることがないよう、地上の出口まで確実に二人を送り届けよ」
地上に向かう氷河と瞬に随行としてつけられたのは、パンドラに厳命を受けた天獣星スフィンクスのファラオだった。
芸で他人に敗北する屈辱を、オルフェの時に思い知っていた彼は、それがパンドラの命令だからというよりは、己れの立場を守るために、むしろ意欲的かつ積極的に その仕事を請け負ったのである。


ところで。
ニワトリは3歩歩くと物を忘れると言う。
天獣星スフィンクスのファラオ――彼は、“鳥頭”という言葉を知らなかった。
が、パンドラの命を受けてジュデッカを出たファラオは、彼自身はまだ2歩も歩いていないというのに、その言葉を体現する男の存在を目の当たりにすることになってしまったのである。

「瞬、おまえは冥界でひどい目に合わされたりしなかったろうな?」
ジュデッカを出て3歩、氷河は早速パンドラの警告を忘れて、実にあっさりと後ろを振り返り、彼の後ろについてきていた瞬に尋ねた。
その行動に慌てたのは瞬とファラオである。
顔面から血の気を引かせた2人に30秒ほど遅れて、氷河は自分の犯したミスに気付いた。
が、気付いてしまったからには仕方がない。
どうせまだ3歩しか歩いていないのだからと考えた氷河は、再びジュデッカに戻ろうとして、その扉に手を伸ばした。
ファラオが周章狼狽して、そんな氷河を押しとどめる。

「い……今のはノーカウントだ。誰も見ていない。おまえたちはこのまま地上に帰れ」
「仮にもアテナの聖闘士が嘘をつくことなどできない。俺はもう一度ハーデスの許に戻って、ハーデスの許可を得るために俺のダンスを披露する」
「そういう融通のきかないことはせんでいい!」
ファラオは、この時点で既に激しく嫌な予感に見舞われていた。
だが、ハーデスの寵愛を維持するため、何よりもパンドラのお仕置きを免れるため、彼はパンドラの厳命を遂行しなければならなかったのだ。
「今のは内緒にしておいてやる。いいから先に進め」
「そうか、すまんな」

氷河はその時には確かに自らの失敗を悔いたし、ファラオへの彼の感謝の言葉も本心からのものだった。
だが、3歩歩くと それを忘れるから、鳥頭は鳥頭なのである。
気持ちを新たにして、きっかり3歩。
氷河は再び後ろを振り返り、愛する瞬に気遣いの言葉をかけた。
「瞬、足元に気をつけろよ」
「貴様には学習能力というものはないのかーっっ !! 」

ファラオが 己れに課せられた仕事の困難さを思い知るのに、2分以上の時間はかからなかった。
ジュデッカから4つの圏、10の壕、3つの谷、8つの獄――。3歩歩くたびに律儀に後ろを振り返る氷河をなだめ、あやし、先を急がせ、なんとか地上への出口に辿り着いた時、ファラオは既に疲労困憊のありさまだった。
心配して主人のあとをついてくるケルベロスの 心配そうな眼差しと慰撫するような咆哮がなかったら、おそらく彼は彼の任務を全うすることはできなかったに違いない。

「やった、地上の光だ!」
ともあれ、長い冥界行の終わりに 最初に歓声をあげたのは、氷河でも瞬でもなく、天獣星スフィンクスのファラオその人だったのである。






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