城戸邸の守衛は、瞬が駅の方に向かったことを氷河に教えてくれた。
向かった方角さえわかれば、5分程度の出遅れはすぐに取り戻すことができる。
瞬を追った氷河は、無事に城戸邸の最寄り駅で瞬の姿を見付けることができた。
瞬は、駅に一箇所だけある券売機の前に立っていた。
滅多に電車を利用することのない瞬は、勝手がわからずもたついて、乗車券を買うのに手間取っているらしい。
おかげで氷河は、瞬がどの方面への切符を買ったのかを容易に見極めることができた。
同じものを購入し、瞬のあとを追って改札を通り、瞬が乗った車両の隣りの車両に飛び込む。
そうして、彼は車両と車両の連結部分の窓から瞬の姿を窺える場所に陣取った。

瞬の姿を見やりながら、氷河は、瞬に声をかけるべきかどうかを迷っていたのである。
おそらく今は、瞬を一人にしておいてはいけない時である。
瞬に声をかけ、無理にでも瞬が行こうとしている場所に同道してしまった方がいいに違いないという考えが、氷河の中にはあった。
が、それをしてしまうと、瞬のことである。彼は仲間に心配をかけないために、自分が一人になりたいと考えた理由を同行者に隠そうとするかもしれない―― 十中八九そうなるだろう。
あれこれ考えを巡らせて、氷河は結局、このまま瞬に気付かれぬように瞬を追跡することに決めたのである。
それが、瞬が一人になりたいと考えた理由を解明する最も確実な方法だと判断して。

電車は北に向かっている。
普通の会社員の通勤時間はとうに過ぎており、車内は、空いているとはいえなかったが、混んでもいなかった。

瞬が乗り込んだのは各駅に停車する電車で、あとからやってくる急行や快速の電車にどんどん追い越されていく、のんびりした運行のものだった。
聖闘士でなくても全力疾走をすれば一駅くらいなら電車との伴走も可能なほど、その速度も遅い。
車内の座席は4人掛けのボックス席になっていて、ロングシートの車両に比べると通路は はるかに狭かった。
その狭い通路に立っているのは乗り降りする他の乗客の邪魔になると考えたのだろう。瞬は乗車口にいちばん近いボックス席の一つに腰をおろした。

電車が都心を離れたところで、老人が一人車内に乗り込んできた。
立っている客はいないが、空いている席もない。
空席を探してあたりを見まわしている老人に、瞬は席を譲った。
車内で立っているのは瞬だけである。
その老人は、彼が乗り込んできた駅から5つ目の駅で、黙って電車を降りていった。

車両と車両の連結部に身を潜ませるようにして その様子を見ていた氷河は、その老人に少々腹立ちを覚えたのである。
氷河自身は こういう乗り物の中で席を譲られた経験がないので確言はできないが、こういう場合、席を譲られた者は譲ってくれた者に対して礼の一言も言うのが 常識的対応なのではないか、と。

そんな氷河の憤りを知るよしもない瞬は、老人の失礼に気を悪くした様子も見せず、再び空いた席に腰をおろした。
こののどかな電車に、次に乗り込んできたのは、松葉杖をついた学生風の男だった。
瞬がまた彼に席を譲る。
彼は4つ目の駅で、やはり瞬に一言の礼も言わずに降りていった。
氷河の憤りが倍の大きさになる。

それから更に3つめの駅で、乗客に動きがあった。
次に電車に乗り込んできたのは、大きな紙袋を両手にぶら下げた主婦だった。
氷河は、瞬はもう彼女に席を譲らないのではないかと思った。
他に健康な客はいくらでもいる。
窓から射し込んでくる暖かい春の日差しのせいで眠りこけている客も多いようだったが、瞬以外のすべての客が眠っているはずもない。
だが、彼女に席を譲ったのは、今度もまた やはり瞬だった。
そして、彼女も、前の二人と同じように、瞬に礼も言わずに電車を降りていく

長い散歩の目的地に着いたらしい瞬がその電車を降りる頃には、氷河の怒りは沸点に達していた。






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