イノチガケ






氷河がやたらと仲間たちの前で瞬といちゃ・・・つき・・始めたのは、ごく最近のことである。
それまでは、意識していたのか意識していなかったのかはともかく、氷河が人前で瞬にべたつくことはなく、彼は仲間たちの前では彼等の仲間としての態度を維持していた。
要するに、以前の氷河の言動には節操があったのである。
それが、ある日を境に突然、まるでタガが外れたように氷河は瞬との親密さを――主にスキンシップを行なうことによって――仲間たちにひけらかし始めたのだった。

昨日もそうだった。
今日もそうである。
おそらく明日も彼はそうするのだろう。
ちなみに、今日の氷河は、ラウンジの肘掛け椅子で画集を眺めていた瞬の側にやってきて、椅子のアームに腰をおろし、瞬の肩を抱き、時折その耳や頬に唇を近付けては ひそひそと何やら瞬に囁いている――もう1時間以上。
彼が囁いているのは、艶めかしいことではなく、瞬が見ている画集の絵への辛辣な批評らしかったが、そのたびに くすぐったそうに肩をすくめ苦笑を洩らしている瞬の様子は、第三者の目には性的な含みのあるじゃれつきに興じているようにしか見えなかった。

それを氷河は飽きることなく延々と続けるのである。
そんな場面を見せられ続けた星矢の、最初はうんざりしているようだった態度と表情が、やがて苛立ちに変化していったのは致し方ないことだったかもしれない。
なにしろ、氷河の終わりの見えないスキンシップによる愛情表現は、もう1ヶ月の前から、毎日数時間単位で行なわれていたのだ。

「ったく、貴様は毎日毎日毎日ノンキだな! アテナの聖闘士が ンなことでいいのかよ!」
センターテーブルを挟み瞬の掛けている椅子の向かい側で、特に生産的なことをするでもなく氷河の愛情表現を睨み続けていた星矢が、ついに堪忍袋の緒を切って、嫌味たらしい大声をあげる。
どう見ても意識的にゆっくりと、氷河は視線を星矢のいる方へと巡らせた。
そして、呑気な口調で――星矢にはそう聞こえた――、
「誰がノンキだと?」
と、眉を吊り上げている仲間に尋ねた。

「おまえだよ、おまえ!」
顔をうんざりしたように歪め、星矢が氷河に噛みつく。
それに対する氷河の返答は、実に思いがけないものだった――星矢には そう思えた。
彼は、苛立っている仲間に、真顔で、
「俺は今、命がけの戦いをしている。俺がノンキに見えるのなら、それはおまえの目が節穴なんだ」
と反論してきたのだ。

「命がけの戦い? どこでそんなモノが起きてるって?」
「今 おまえの目の前で」
言われた星矢が、わざとらしく目を凝らす素振りを示す。
もちろん氷河が言うような事実は、そこにはなかった――少なくとも星矢の目には見えなかった。
そんな星矢の様子を、氷河が鼻で笑う。
「恋というのは戦いだぞ。どこぞの神相手のバトルなんかより、はるかに過酷な戦いだ」
「戦い〜 !? 」

この“いちゃいちゃ”のどこが戦いなのかと、星矢は氷河を怒鳴りつけたかったのである。
実際に、彼はそうしようとした。
だが、星矢は、氷河が ほとんど間を置かずに披露し始めた とてつもなく独創的な闘争論に阻まれて、そうすることができなくなってしまったのだった。
一度星矢に浅く頷いてから、氷河は白々しいほど真面目な面持ちで言ってのけたのである。

「恋というのは、言ってみれば、赤の他人に自分のすべてをさらけ出す行為だ。嫌われるかもしれない、鬱陶しがられるかもしれない、事によったら全人格を否定されることになるかもしれない、そうして傷付き一生立ち直れなくなるほどの痛手を受けることになるかもしれないものなんだ。それでも、自分の内から湧いてくる自分の意思では制御できない力に従って、人は人に惚れる。いずれにしても、それが大きな危険をはらんだ命がけの行為であることは厳然たる事実だ」
――と。

星矢は咄嗟に反駁の言葉が思いつかなかった。
それをいいことに、氷河が更に彼の超理論を滔々とうとうと語り続ける。
「俺が今 瞬とこうしているのも、瞬がこの行為を迷惑に思うかもしれないと散々悩んだ上でのことだ。過去に瞬がどこまで俺の馴れ馴れしさを許してくれたかを考慮して、これくらいなら瞬は許してくれるだろうと判断し、それでも躊躇を覚えつつ、だが、一か八かの決死の覚悟で俺は――」
「瞬にべたべたごろごろとじゃれついているわけか」

星矢の口から出た言葉は確認のための言葉ではなく明白に嫌味だったのだが、氷河は実に堂々と、そして平然と、
「その通りだ」
と言って頷いた。
「何をするにもそうだ。時には繊細な振りをし、時には無神経な振りをし――俺は瞬に惚れてから、瞬に惚れる以前の100倍も自分の頭を使っている。恋は馬鹿には為し得ない一大事業だ。おまえみたいにズボラで無神経な馬鹿には、まあ、一生できないものだろうな」
星矢は、ズボラの無神経のという言葉を、氷河にだけは言われたくなかった。
当然だろう。
氷河がマメなのは、瞬との“いちゃいちゃ”に関してだけなのだ。

「その理屈でいくと、世の中は利口者であふれているってことになるだろ。その割りに、世の中は一向に良くならないみたいだけど?」
「そこいらのガキ共が本当の恋などしているものか。自分が傷付くことを何よりも怖れているような奴等に、本当の恋などできるわけがない。奴等にできるのはせいぜい、テレビゲームで恋愛シミュレーションに浸るくらいのものだ」
「おまえのしてるのはホンモノなのかよ?」
「無論だ」
自信満々で仲間の皮肉に頷き返してくる氷河に、星矢は尋常でない脱力感を覚えることになったのである。






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