「な……なに、ここ」
氷河と瞬が紫龍のあとを追ってやってきた、星矢の戦場。
そこは、城戸邸から常人の足で10分ほど歩いたところにある、さほど大きくはない商店街だった。
こんなところで聖闘士の闘いが繰り広げられているのだとしたら、ウルトラマンと怪獣の闘いほどではないにしろ、一般人や建造物への被害は甚大なものになるに違いない。
もっとも、平日の昼前の商店街は、一見したところ恐ろしくのどかな佇まいを呈していたが。

「氷瞬堂書店の向かいの店と言われたんだが……」
「……」
そんな場所で、果たして“イノチガケのバトル”などというものが行なわれ得るものなのだろうか。
氷河と瞬は嫌な予感を覚えた。
紫龍も、ここまできてやっと、事態の不自然に思い至ったらしい。
彼は、仲間たちの前で、気まずそうに眉をひそめた。

「氷瞬堂書店の向かいというと――」
「お好み焼き屋さんみたいだけど……」
氷河と瞬と、そして紫龍の目が、その店の ブタとイカが仲良く笑っている看板に向けられる。
彼等の嫌な予感は、既に確信に変わっていた。
ここに、敵はいない。
彼等は、その事実を悟ったのである。

だが、ここまで来て何もせずに引き返すのもまた空しい。
そう考えて、彼等は一応、星矢が指定した戦場に足を踏み入れてみることにしたのである。
テーブルが10ほどしかない こじんまりとしたお好み焼き屋の店内は、ソースの焦げる匂いとキャベツを刻む音が充満していた。
そして、そこでは、確かに星矢の言葉通り、彼の――彼だけは――イノチガケのバトルが展開されていたのである。

『2時間で10枚食べたらタダ!』
店に入るなりアテナの聖闘士たちの目に飛び込んできたのは、壁に貼られた手書きの張り紙だった。
「あ、紫龍、氷河、瞬、ここ、ここ!」
店のいちばん奥のテーブルに、戦闘中のアテナの聖闘士の姿がある。
心底 嫌そうな顔をして、そのテーブルの脇に居並んだ3人の仲間たちに、星矢は謝罪も礼も前置きもなく彼のバトルが始まった訳を怒鳴るように口にした。
その口の中には、もちろん彼の敵がぎゅうぎゅうに詰まっている。

「俺、腹が減ってたんだよ、ものすごく!」
それは、ある意味では、素晴らしく納得できる理由だった。
この種の闘いを始めるに当たって、それ以上に妥当な理由は他にはない。
「通りを歩いてたら、うまそうな匂いがしてきてさー。で、つい ふらふらと店の中に入ったら、タダとか書いてあるじゃん。でも、食い切れなかったら、食った分の代金を払わなきゃならないんだと。俺、1円も持たずに外に出たんだよなー」
「……」

それ以上詳しい説明を、瞬は聞きたくなかった。
だから、瞬は、自分が知りたいことだけを、彼の戦友に尋ねたのである。
「星矢のイノチガケのバトルってこのことなの?」
頼むから否定してくれと神にも祈る気持ちで瞬が尋ねたことに、星矢は、しかし、非情にも大真面目な顔をして頷いてきたのである。
「メニューは好きに選べるんだけどさ、店の親父、情け容赦なく どばどばマヨネーズぶっかけやがんの。きっついんだ、これが」

店主の反則技を非難する間にも、星矢の口は休みなく咀嚼を続けている。
瞬は、星矢の悲惨な闘いを見ていられなかった。
「やめて、星矢! みすみす死ぬつもりなの!」
「男が一度始めたイノチガケの勝負を途中放棄なんかできるかよ!」
瞬の悲痛な悲鳴が響く中、星矢の目の前に彼の5枚目の敵が運ばれてくる。
ちなみにメニューはブタ玉。
こってりソースとたっぷりマヨネーズの上では、カツオブシとアオノリが華麗な舞を舞っていた。

「こんなの1枚だって一人じゃ食べきれないよ。10枚も食べたら、僕死んじゃう……」
「この阿呆は一度死んだ方がいい」
星矢が命を賭けて闘っている敵の様子を不愉快そうに見おろし、氷河は途轍もなくクールかつ9割方本気で、そう言い放った。
「瞬。俺はこんな奴に謝りたくはないぞ」
「う……うん……」

お好み焼き10枚完食にイノチガケで挑むアテナの聖闘士の存在が許されるのなら、アテナの聖闘士が恋に命を賭けて何が悪いのか。
氷河の言い分はもっともだった。
瞬は、そう思わざるを得なかった。

そんな仲間たちの思いを意にも介さず、星矢は決死の形相で彼の5人目の敵に挑んでいる。
瞬には見ているだけで胸焼けを起こしてしまいそうな壮絶な闘い。
だが、その闘いのただなかにある星矢の瞳は生き生きと――むしろ、爛々と――輝いていた。

イノチガケで恋するものが平和だけだということは、とても悲しいことなのかもしれない。
イノチガケで恋するものはたくさんあった方がいいのかもしれない――。
星矢の腹の中に次々と収まっていくお好み焼きから 嫌そうに目をそむけながら、瞬はそう思ったのである。






Fin.






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