「おまえは、おまえが気に入るような玩具やお菓子を手土産にして、お伺いをたてなければ、そんな重要なことも教えてくれない親切な予言者様というわけだ」
嘆息し、氷河は予言者の顎をとらえて、その顔を上向かせた。
年齢にふさわしい知恵がないせいか、その瞳は子供のそれのように大きく澄んでいる。
幼く頼りない印象は拭い去れないが、恐ろしく美しい。
そして、神はどういうつもりで こんな幼な子にそんな力を与えたのかと訝らずにはいられないほどに、華胥の国の予言者は あどけなかった。

「つまり、この子を庇護していれば誰でも――西戎の者でも北狄の者でも東夷とうい南蛮なんばんを問わず誰でも、この国の王として受け入れられるというわけか」
氷河が口にした東夷、西戎、南蛮、北狄――それらは国名であって国名ではない。
大陸の中央に位置する華胥の国を囲む東西南北の国を、この世界の中心にある華胥の国の者たちが蔑んでつけた国の名だった。
治水の術、農耕の術、医療技術、果ては、布の染め方や磁器の作り方まで、面積は狭いが周囲の4国に比して高い文化を誇る華胥の国に、10数年前まで、周辺各国は貢ぎ物を持って王宮に伺候し、王に教えを乞うのが慣例になっていた。
世界で最も優れた国であったはずの華胥の国が 西戎の支配を受けることになってから、本来は蔑称だったそれらの呼び名は美称と捉えられるようになり、当事国の者たちもその名を用いるようになったのである。

北狄の王である氷河は、だが、好んで華胥の国に乗り込んできたわけではなかった。
華胥の国を支配する西戎の政治はひどいもので、ここ数年、華胥の国からの難民が 数多く北狄の都に流れ込んできていた。
その数 数万。もともと人口の少ない北狄の国の存続自体が危うくなる規模である。
その現状を打破するために、氷河はこの国で放縦の限りを尽くしていた西戎の者を政権の座から追い払うことを企て、そして実行した。
この国の建て直しが済んだら北の草原に帰ろうと、氷河は考えていたのである。
本来の王家の末裔に王位を返上してもいいと、むしろ そうしたいと、氷河は思っていた。
しかし、今の彼の目の前にいる“王子”は、到底 国の政治を任せられる人物ではない。

軽い失望と共に、氷河は再度予言者に問うたのである。
彼が最も知りたいことを。
「俺がこの国の未来を問えば、おまえはそれに答えるのか」
予言者はにっこり笑いながら頷いた。
幼い笑みが、氷河の軽い失望を深刻な失望に変えていく。
あまり難しいことを訊くと、この予言者は質問の意味自体を正しく理解できないかもしれない。
氷河は、予言者の力を試すために、とりあえず非常に簡単な質問を彼に投げかけてみた。

「次にこの都に雨が降るのはいつだ」
「僕、そういうことはわからないの。僕にわかるのは、人のことだけ。戦が起きた時、どっちが勝つのかとか、王様の命はいつまでなのかとか」
氷河の質問の意味を、予言者は正しく理解したらしい。
答えは得られなかったが、氷河はまず彼と意思の疎通ができることに安堵した。

「俺の支配はいつまで続く?」
「あなたは僕の新しい王様?」
「そうだ。この国の惨状を見兼ねてやってきた。氷河という」
「新しい王様は若くて綺麗……。僕は瞬だよ」
大人に名を問われた子供のように名を名乗ってから、予言者は氷河の前で目を閉じた。
短い沈黙のあと、閉じた目を開け、氷河に告げる。
「氷河が、農民への税を今の半分以下にすれば10年以上。今の税をそのままにしておくつもりなら3年。もっと重くしたら2年。どこかの国と戦を始めれば、勝っても負けても2年」
「戦をせずに、税を減らせば?」
「そうすれば、終わりは見えない。もしかしたら、氷河は数百年続く王朝の礎を作ることになるかもしれない」

瞬の予言にどよめいたのは、氷河が連れてきた仲間たちだった。
どうやら彼等は、この王宮の豪奢に度肝を抜かれ、当初の目的を忘れて この国を支配することに魅力を感じ始めていたらしい。
「それはめでたい」
予言者の言葉を瞳を輝かせて聞いた氷河の部下たちは、早速 予言者の言葉をこの国の都中に触れまわれることを決めてしまった。
氷河が止めても――王が止めても――、彼等は彼等のしたいことをするに違いない。
だから氷河は彼等を止めなかった。――止めても無駄なのだ。

瞬は、おそらく自分を取り囲んでいる者たちが皆 嬉しそうに笑ったから――瞬もまた笑った。
その笑みには、やはり何の意味もない。ただの反射にすぎない――ように、氷河には見えた。
「ねえ、あのブドウを食べてもいい?」
「よろしゅうございますとも、予言者様」
氷河の従僕が、満面の笑みをたたえて幼い予言者に頷く。

豪奢な王宮の広間には、壁際に幾つもの単脚の小卓が置かれ、金の器に盛られた果物が調度のように飾られていた。
国の民は飢えているというのに――おそらく、予言者が手をつけなかったら、それは明日には捨てられてしまっていたに違いない。
その卓の一つに駆け寄ってブドウの実を一粒口に含んだ予言者は、自国の民の窮乏も知らぬげに、
「甘い」
と言って、また意味のない笑みを浮かべた。






【次頁】