氷河は僅か数騎の仲間を従えて東夷の陣営に赴き、首尾よく目的を果たして帰ってきた。
遠征の陣幕に愛妾を幾人も引き連れてやってきていた東夷の王は、彼女たちに輝く石をねだられ、その価値をくどいほどに訴えられて、早々に氷河の出した条件を呑んだという。
東夷の王は、実際に戦が始まったなら、自軍の兵を見捨てて本国に逃げ帰るような男であったらしかった。

「おまえには、ダイヤ鉱山以外にも色々と持ち札がありそうだな。数百年、この国を支配してきた王家の末裔だけあって、余人の知らぬことを色々と知っている。おまえこそ、この国の王になるべき人間だ。華胥の王家の復興には俺も力を尽くすぞ。おまえの悲願なのだろう?」
それを“凱旋”と言っていいのかどうか――ともかく、無傷で東夷軍の進軍を止めることを成し遂げた氷河は、鷹揚に笑いながら瞬の待つ城に帰ってきた。
そのあまりに緊張を欠いた氷河の態度に、瞬は腹立ちを覚えてしまったのである。

「僕は、そんなことは望んでいません……!」
すべてが瞬の計画通りに進んだのである。
上機嫌で迎えてくれるに違いないと思っていた瞬の剣幕に、氷河は目をみはった。
「瞬……何を怒っているんだ? すべてはおまえの計画通りに――」
氷河が意気揚々と凱旋を果たした城の広間には、彼に従って東夷の陣に赴いた仲間たちが数人 居合わせていた。
氷河の無事な姿を見た瞬の瞳に涙があふれてくる様を認めた彼等が、苦笑いを浮かべながら場を外す。

もともと彼等の姿は瞬の視界に入っていなかったが――彼等の退場と同時に、瞬は氷河の立つ場所に走り寄った。
氷河の前に立ち、その背に腕をまわし、やがて意を決したように腕に力を込め、瞬は氷河の身体にしがみついた。
頬をその胸に押しあて、氷河にも聞き取るのがやっとの小さな声で、
「心配したの」
と呟くように言う。

「瞬……」
「心配したんです」
その小さな声が何を訴えているのかを悟り、氷河は――氷河も――瞬の身体を抱きしめた。
いったいこの可愛らしい生き物を、誰がどんな意図をもって自分に引き合わせてくれたのかと、瞬を抱きしめながら、氷河は思っていた。
昼夜を分かたない数日間の強行軍を終えたばかりで、氷河は服も髪も土埃にまみれていたのだが――もうその時を待ちきれない。
二重の意味を込めて、氷河は瞬の耳に囁いた。

「おまえを汚してもいいか」
「僕は汚れない」
「そうだろうな」
今 氷河の腕の中にあるものは、この大陸で最も高貴な王家に生まれた王子である。
おそらく、蛮族に汚されるくらいなら死を選ぶ覚悟で長い時を生きてきたに違いない。
その身を氷河の腕に委ねた瞬の細い肩は、気丈な言葉とは裏腹に小刻みに震えていた。
ありえないほど健気な様子を瞬に示されて、氷河は、瞬に優しくせざるを得なくなってしまったのである。
瞬を寝台に運ぶ前に、氷河は瞬の顔を覗き込み、そして言った。

「原因と結果を考えてみろ」
「え……」
ゆっくりと顔を上向かせた瞬の 怯えを含んだ視線を捉え、氷河は、瞬の心と身体を安んじさせるために、努めて穏やかな表情を作った。
「原因は、俺がおまえに恋い焦がれていること。目的は、おまえを気持ちよくすることで、俺がもっとおまえに愛されることだ。おまえが怖がるようなことを、俺がするはずがない」

氷河の意図を理解し、いつのまにか硬く強張ってしまっていた身体から、瞬は意識して力を抜いた。
そして、氷河に告げる。
「原因は、僕が氷河と二人で幸福になりたいと思っていること。だから結果は――氷河が喜んでくれるのなら、僕はどんなことされても平気だし、嬉しい」
「さすがは名にし負う王家の血を引く王子様だ、頭がいい」

笑ってそう言う氷河に、瞬は少々馬鹿にされているような気がしないでもなかったのである。
何か言い返そうとした瞬は、だが、そうすることはできなかった。
氷河の青い瞳の中にいると、彼に逆らおうという気が挫ける。
何より、瞬が氷河に反駁するより先に、瞬の唇は彼の唇にふさがれてしまっていた。






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