二人の秘密がシュンの兄にばれたのは、ヒルダの協力を得て、シュンがヒョウガとの密会を重ねるようになってから2ヶ月が経った頃だった。
シュンと会っているはずの時刻に ヒルダが乗馬クラブにいる場面に居合わせて、シュンの兄は、弟の外出に何らかのからくりがあることを知るに至ったのである。
ヒルダを問い詰めると、彼女は、『今頃気付いてももう遅い』と言わんばかりの笑顔で、ヒョウガとシュンがハードウィック家の別邸で逢瀬を重ねていることを、シュンの兄に白状したのだった。

怒髪天を突いたシュンの兄が侯爵家の別邸に即座に乗り込んでいったのは、地位の上下もクラスの別も社交界のマナーも紳士としての節度も、愛の前には無力であることの証だったろう。
そのくせ、弟を叱責する言葉は、
「どんなに落ちぶれていてもいいから、貴族の令嬢を掴まえろと言ったろう! こんな阿呆に惚れられても何の役にも立たない!」
――なのだから、言動の矛盾もはなはだしい。
使用人もいない別邸で、違法行為を屁とも思っていない男と愛する弟が 打ち解けた様子で語らっている様を見せられたシュンの兄の立場を考慮しても、矛盾が道理と認められるわけはない。

が、シュンとの楽しい逢瀬を邪魔されたヒョウガの反論は、シュンの兄の理外の理には向けられなかった。
名誉を重んじる英国紳士であるところの彼は、
「無礼なことを言うな。俺のモノは立派に役に立っている」
と、その部分で シュンの兄に反駁してきたのである。

「シュン、おまえまさか――」
シュンの兄の受けた衝撃は並大抵のものではなかった。
風にも当てぬようにと気をつけて守り育ててきた大切な弟が、こんなふざけた男のモノが役立つことの証人にさせられてしまったのである。
たった今その頭上に天が落ちてきても、シュンの兄はこれほどの衝撃を受けることはなかっただろう。

「あんなに清らかだった俺の弟を、貴様、よくも! 貴様は、自分の醜い欲望を満たすために、シュンを犯罪者にするつもりかっ、このメフィストフェレスめ!」
シュンの兄は、ここを先途とヒョウガに罵倒の限りを尽くしたのだが――正確には、尽くそうとしたのだが――シュンがそれを遮った。
兄とヒョウガが険悪に睨み合う場面で、なんとシュンは、十数年間彼を慈しみ育ててくれた実兄ではなく、わずか2ヶ月前に名を知ったばかりの“ふざけた野郎”の肩を持ったのである。

「ヒョウガを悪く言わないで! ヒョウガは優しいんです! 兄さんみたいにクラスになんかこだわってないの。ヒョウガは、僕が僕だから好きだって言ってくれました!」
シュンにそう言って責められて初めて、シュンの兄は、自身の野心がシュンの心をこの“ふざけた野郎”に傾かせてしまったことに気付いたのである。
だが、彼は、気付くのが遅すぎた。
決して兄に逆らうことなく大人しく従順だった彼の弟は、その身と心をすっかり他の男に与えてしまったあとだったのだ。

「そんなに貴族の仲間入りをしたいのなら、兄さんが自分で貴族の令嬢と結婚すればいいでしょう」
「俺は、気位の高い貴族の女の相手などできん」
「それが本当の理由じゃないくせに! 僕、知ってるんですからね。兄さんに恋人がいること。貴族どころか、ろくな教育も受けていない雑役女中オールワークスの! 貧しい家に生まれて、わずかばかりの食料や小麦粉と引き換えに 身売りされるようにロンドンに連れてこられて、もう家族が生きているのかどうかさえわからないって、彼女 言ってました。兄さんは、タウンゼント家の家格を押し上げる仕事を僕に押しつけて、それは兄さんだけが望んでることなのに僕に押しつけて、自分は自分の好きな人と幸せになるつもりなんだ!」

それでもいいと思っていた時期もあったのだが、それは恋を知る以前のことである。
シュンは今では、ヒョウガと離れて過ごす時間に激しい苦痛を覚えるほど、彼なしではいられないようになってしまっていた。

「シュン……」
従順で内向的で万事控えめ――と思っていた弟の思いがけない反抗に、それより何より、自身のクラス違いの恋を弟に知られていたことに、シュンの兄は戸惑い、たじろいだ。
シュンが、そんな兄に更なる攻撃を仕掛けてくる。
「いいですか。今はまだ19世紀なんです。上流階級の人間がメイドに恋なんかしちゃいけない時代なんです。メイド萌えが流行るのは、今から100年後の日本! 現代の大英帝国はクラスとクラスの間に厳然たる壁があって、上流階級に属する者がクラスの違いを無視するような行ないをすれば、途端にその家は家族全員 社交界から爪弾きです!」
「う……」

口では、貴族に貴族に より高いクラスに――と言いながら、自分が愛したのは上流階級アッパークラスの者どころか中流階級ミドルクラスの者ですらなく、労働者階級ワーカーズクラスのメイドだった――。
己れの言動の矛盾を、シュンにはっきり指摘されてしまうと、シュンの兄にはもはや反論の術がなかったのである。

反論の余地のない矛盾。
その矛盾をシュンの兄はシュンに強要し、自分自身は自然に・・・生きようとしていた。
それは責められても仕方のない卑劣な行為である。
だが、シュンは、兄の恋を責めるつもりはないようだった。
「でも、それがどうだっていうんです?」
最初からシュンは、そんなことは考えていなかったらしい。

「爵位が何? 身分が何? メイドだって貴族だって、お金持ちだって貧しい人だって、恋をしたら、ただのひとりの人間になるんです!」
「そ……それはそうかもしれんが、しかし、男同士は違――」
「男同士は違うとでもいうつもりですか?」
可愛い弟に冷ややかな目でめつけられたシュンの兄は、蛇に睨まれた蛙のように全身を凍りつかせた。
「い……いや、まさか。とんでもない」
顔を引きつらせて、シュンの兄はシュンの意見に賛同の意を示した。

この弟に逆うことは、たとえ大英帝国の女王にも不可能なことであるに違いない。
なにしろこの可憐な弟は、鋭く振るわれる鞭だけでなく、砂糖と蜂蜜だけでできている甘いキャンディも持ち合わせているのだ。
「僕、彼女が好きですよ。優しいし、ちょっとお母さんに似てて、兄さんが彼女を好きになる気持ちはとてもよくわかります」
初めて会った時に、彼女を母ではなく弟と見間違えたなどということを この場で言うのは非常にマズいだろう――という判断を為すだけの力は、衝撃の連続に心身共に疲れ果てていたシュンの兄にも、かろうじて残っていた。

「兄さんも彼女を愛してるのなら、相手がメイドだろうが何だろうが、誰にも遠慮せずに結婚すればいい。僕だって、好きな人と一緒にいたい。兄さんと同じなんです。どうしてわかってくれないの……」
矛盾を突いて理詰めの攻撃を仕掛けたあとに、甘いキャンディを撒き散らし、とどめは得意の泣き落としである。
本気になった弟に、シュンの兄が勝てるわけがない。
まして、今のシュンは恋をしている。
恋する弟に、兄が勝てるはずがなかったのだ。

「シュン、な……泣くな」
「兄さんなんか嫌い」
「シュン、そんなことを言わんでくれ〜!」
人間が生きている世界には、階級クラスの別より はるかに強い力をもって人間を縛る法律がある。
愛という法の前では、人は誰も無一物の人間になってひざまずくことしかできないのだ。






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