語るべきことはすべて語り終えたと、シュンは思ったらしい。
両の肩を落とし、顔を俯かせ、物語のあとに ふと生まれた溜め息のように、シュンは二人が出会った日のことを呟いた。
「ヒョウガに会った時、すぐにわかった。名前なんか聞かなくても、これがナターシャのヒョウガだって、すぐにわかった。ナターシャとおんなじ色の髪と瞳で、ナターシャとおんなじように寂しそうな目をしてて――」

「なぜ今まで黙っていたんだ」
二度までも母を失った者に残酷なことを訊いているとは、その問いを発した時にはヒョウガは考えていなかった。
ヒョウガはその時、自分はシュンに 兄だけでなく母の身代わりまでさせられていたのかという、苦い思いに支配されかけていたのだ。

「ナターシャが――僕のせいで死んだなんて、言えなかった……!」
シュンの涙を見せられて、ヒョウガはすぐに自身の下劣な妬心を自覚し、後悔した。
見失った母を求め続けていた者の希望、生きる目的、これまで彼が過ごしてきた時間の意味――自分が、それらすべてを奪った者だということをナターシャの息子に知られ憎まれることを、シュンは恐れていたのだということに、ヒョウガは遅ればせながら気付いた。
贖罪のために、シュンは、ヒョウガとしてトルコの刺客に殺されようとさえしたのだ――。

ヒョウガはシュンを憎んでいなかったので――憎むことが自然だったのかもしれないが、憎んでなどいなかったので――シュンの気持ちにすぐには思い至れなかったのである。
シュンの瞳からは、ぽろぽろと海の雫が零れ落ちている。
すべてを知らされても、ヒョウガはシュンを憎むことができなかった。
ただシュンの涙を止めたいと、ヒョウガはそれだけを考えていた。

「俺の名だけ憶えていてくれたのか……」
あの美しい女性は、最期まで、彼女の“ヒョウガ”を愛し続けていてくれたのだ。
それ以上、誰に何を望むことができるというのだろう。
「それだけでいい。報われた」
「嘘っ!」
シュンが、まるで咎めるようにヒョウガに反駁してきたのは、シュンが“ヒョウガ”にその罪を責めてもらいたいと思っているからなのだろう。
それはわかっていたのだが、“ヒョウガ”にはそうすることができなかった。

「俺は――本当はとうの昔に諦めていたんだ。12年だぞ。もし生きていたとしても、俺のことを忘れて別の生活を営んでいて不思議じゃない時間だ」
「でも、諦めてなかったから! いつかきっと会えると信じていたから、捜し続けていたんでしょう! なのに、ヒョウガの希望を僕が奪ったんだ。もう10年も前に奪ってたんだ……!」
それでも、責めることなどできるはずがないではないか。
遠く離れた場所で、12年間という長い時間、同じものを求めて過ごしてきた悲しい心を。

「人間は――誰でも、いつでも、何かを探し続けて、それを生きる力にしているものだろう。探すものすらないのは、あまりに自分がみじめだったから、俺は――」
ヒョウガには他に求めるものがなかったのだ。
だから、捜し続けた。
この12年間に自分が為してきたことのすべては自分が生きるための行為だったのだと、ヒョウガは今ではわかっていた。
そして、自分が新しい生きる目的に出会えたことにも、ヒョウガは今では気付いていた。

「俺は、おまえを探していたんだと思う」
「そんなはずない」
「見付けてから、自分が何を探していたのかに気付くこともある。俺は、俺が幸せになる術を探していた。ここで見付けた」
「僕は、ヒョウガを不幸にすることしかできないよ」
「おまえが笑ってくれたら、俺はそれだけで幸せになれると思う。おまえは、マーマが俺の代わりに守った命だ。俺も愛したい」

ヒョウガは新しい希望と目的に出会っていた。
同じものを求め続けて傷付き悲しんでいる魂を癒すこと。
失われた希望が、ヒョウガをシュンに巡り会わせてくれたのだ。






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