紫龍には、よくわからなかったのである。
噂の逆輸入アニメは、地球滅亡数秒前に主人公たちの活躍によって めでたく危機が回避される、いわゆるハッピーエンドの映画だった。
だというのに、瞬は、ラストシーンからエンドロールが流れている間、席を立ちロビーに出てからも、ぽろぽろと涙を零し続けているのだ。
「瞬、そんなに泣くな。俺がいじめてるみたいじゃないか」
「泣くなだなんて――紫龍はどうして泣かないの!」
「どうしてと言われても……。今の映画は、最後に地球は救われて、めでたしめでたしで終わったと思うが」
「カニコマちゃんたちが、そのために犠牲になったでしょう!」
「あれのせいで泣いているのか……」

甲殻類カニが出てくる映画ではないと瞬は言っていたが、噂の逆輸入アニメには、実はしっかりと その生き物が出てきていたのである。
もとい、彼等の露出率は、『出てきた』などという生やさしいものではなかった。
カニの出番は、主人公である人間たちよりも多かった。
彼等は、ありとあらゆるシーンに顔を出し、手を出し、足を出し、声を出し――要するに、出ずっぱりだったのである。
もっとも、それは本物のカニではなく、太ったカニのような形状をした数台のAI搭載ミニ戦車だった。
映画の前半では、彼等は主人公の攻殻警官隊のマスコット的存在として愛嬌を振り撒いていたのだが、最終的に地球の危機は、その太ったカニたちが自分たちの身を犠牲にすることで回避されたのである。
瞬は、その太ったカニたちの死が悲しくてならないらしい。

「いや、しかし、あのカニ――いや、あのミニ戦車は、いくらAIを搭載しているとはいえ機械だろう。死の概念も持っていないようだったし、自分たちの消滅を悲しんでいるようには見えなかったぞ」
「だから泣けるんじゃない! 人間が、死後の栄誉や家族や友人たちへの愛のために仕方なく我が身を犠牲にするのと違って、カニコマちゃんたちは、自分の死を悲しいとも思わずに死んでいったの。僕が泣いてあげなくちゃ、カニコマちゃんたちがかわいそうでしょう!」
「だが、所詮は機械――」
「紫龍って、血も涙もない冷血漢なんだね。他の人はみんな泣いてるのに……!」
「なに?」

瞬にそう指摘された紫龍は、おもむろに顔をあげ、周囲を見回した。
そして、上映が終わった映画館のロビーに、瞬が言った通りの光景を発見し、大いに驚くことになったのである。
そこには、映画を観終わったばかりの観客たちのすすり泣きがあふれていた。
泣いているのは そのほとんどが女性陣だったが、中にはいい歳をした男性も数人混じっている。

「涙はこのカニコマ印のハンカチで拭いてくださいー! カニコマのワンポイントが入った吸水率抜群の綿100パーセント、一枚たったの千円ですー」
ロビーにある売店では、店員が声を張り上げて商売にいそしんでおり、カニコマ印のハンカチは売れに売れていた。

紫龍は、この段になって初めてこの映画のパンフレットに視線を落としてみたのである。
パンフレットの表紙には、極太の角ゴシック体で、この映画のキャッチコピーが記されていた。
曰く、『全米・全欧・全豪が泣いた! 今世紀いちばん泣ける映画、日本に再上陸。カニコマ、人類への愛に死す!』

その大袈裟すぎるキャッチコピーに眉をひそめつつ、紫龍は、その場の異様な光景の訳を合点したのである。
おそらく、彼等は“泣きたい人間”たちなのだ。
その“泣きたい人間”たちが、鑑賞者を泣かせるために制作された映画を観、希望通りに泣いている。
つまり、彼等は、自分たちの望みが叶ったことに満足し喜びの涙を流しているも同然であるのに、自分では悲しみに打ちひしがれているような気になっている、勘違い人間たちなのである。

「わからんな……。愛の概念も死の概念も持たない機械が消滅したにすぎないのに」
紫龍があきれたように呟くと、瞬は、いっぱいに涙をためた目で彼を睨みつけてきた。






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