自分の思い通りに動いてくれない世界というものに、瞬は激しく憤っていた。
これは自分の努力が足りないからなのか、あるいは努力をしても変えられない運命というものが、この世には確かに存在するからなのか――。
瞬には、そこのところがどうしてもわからなかったのである。
迷いながら、瞬は、一縷の希望にすがって、星矢に尋ねてみた。

「星矢、人って、どんな時に泣くものだと思う?」
「人が泣く時? そりゃ、なんてったって、タンスの角に足の小指をぶつけた時だろ」
「そんな偶然、待ってられないよ!」
「なに怒ってるんだよ……。瞬、おまえ、この頃、変だぞ」
問われたことに答えただけの星矢に、瞬は不機嫌な怒声を返し、その怒声に星矢は眉をひそめた。
紫龍のように直截的な迷惑を被ってはいなかったが、星矢も、最近の瞬の言動には首をかしげざるを得ないことが多かったのである。

が、瞬は、星矢に問われたことに答えを返すこともしなかった。
代わりに瞬は、まるで脈絡のない呟きを呟いた。
「紫龍って、血も涙もない冷血漢なのかな」
「そんなことないだろ。んーと、ほら、人馬宮では泣いてたじゃん」
「ああ、あれは泣けたよね」
今では既に懐かしい思い出になってしまっている十二宮での闘い。
あの闘いで、青銅聖闘士たちが最も大量に 最も熱い涙を流したのは、守護する黄金聖闘士のいない無人の人馬宮のアスレチックフィールド・ゴール地点だった。

『ここを訪れし少年たちよ、君たちにアテナを託す』
たったそれだけの文章を読ませるために、自らの宮の中に、一つ間違えば挑戦者が命を落としかねない壮大な小細工をしてくれた射手座の黄金聖闘士の底意地の悪さに、アテナの聖闘士たちは涙を流さずにいられなかったのである。

「あんなにひどい目に合ったのに、その結果得たものが たったあれだけの言葉だなんて、僕たちの苦労っていったい何だったのか……」
命懸けの努力が、実は何の意味もないものだったと知らされた時、人はそれまでの己れの人生を振り返り、ただ呆けることしかできない。
青銅聖闘士たちも、例外ではなかった。
そして、自分たちが苦労の末に得たものの重さ――“軽さ”とも言う――を理解した時、彼等は自分たちの命懸けの徒労の虚無を思い、ただ泣くことしかできなかったのである。

「入り口に看板を立てておいてくれるだけでよかったのに……。射手座の黄金聖闘士って、相当ひねくれた人だったに違いないよね」
あの時ほど虚脱感を感じ、アテナの聖闘士でいることの空しさに打ちのめされたことはない。
あの時の空しさの感覚を思い出すだけで、瞬は今でも泣くことができた。

あの時のことを思い出しても、紫龍は泣かないのだろうか――と、瞬は思った。
そして、おそらく彼は泣かないのだろう――と決めつける。
瞬は、自分の思い通りにならない世界への憤りを思い出し、再び唇をきつく引き結んだ。






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